『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』
2017/05/09(Tue)
 村岡恵理著 『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』 を読みました。
 読み終わったあと、村岡花子の生涯、1893年(明治26年)~1968年(昭和43年)の伝記は、あわせてこの75年間の日本女性の近現代史といった感がありました。
 たとえば、村岡花子は昭和7年6月1日から、NHKの前身JOAK放送局で毎日午後6時25分からの「子供の新聞」という子供向けのニュースの朗読に出演していました。そして、昭和16年12月8日の早朝、「今日は非常に勇ましいニュースがありますから女の声ではいけませんので、いらっしゃらなくて結構です。明日、改めてお越しください」との電話を受けます。この日は、真珠湾攻撃の日で、ラジオは一日中日本は戦闘状態に入ったと報道されていたようです。昭和12年に日中戦争が勃発してから、彼女の属している婦人参政権獲得などを訴える運動団体や、文学関係の団体にも軍部の風当たりが強くなっており何度も辞表を書いては出さずにいたものを、この時をしおに辞めます。次にラジオ番組に出演したのは昭和21年の正月早々。四夜連続で特別企画に出演したとあります。
 また村岡花子は、日本は西欧に比べ女性や児童向けの図書が少なく内容も夢のある楽しいものがないことに早くから気づいて、このような本の著作や翻訳の必要を感じています。しかし、翻訳していることが人に知れてはいけない時代もあり、そんなときの生活での苦労も語られます。
 花子が東洋英和女子校に勤務していたカナダ・メソジスト派の婦人宣教師のミス・ショーからあずかった『赤毛のアン』の原作は、1908年6月が初版で、毎月のように版を重ね12月の第7版でした。花子によって翻訳された本が1952年(昭和27年)5月に発行され、さいわいたちまちベストセラーになったといいます。

 『赤毛のアン』を私はいつ頃読んだのか特別記憶がありません。ですが、他の翻訳者で読んだとき、違う話を読んでいるような気持になった事を誰かに話したことは覚えています。仕事で緘黙児を預かったとき、そして美智子皇后がお声が出ない病気になられたとき、文庫本での村岡花子訳『果樹園のセレナーデ』のことを思い出した記憶もありました。
 この本の中には、竹柏会を代表する歌人で片山廣子という人が松村みね子というペンネームでアイルランド文学を紹介した翻訳者だとあり、村岡花子はこの人からたくさんの洋書を借りて読んでいます。(小泉八雲と関連しているので特記しておきます。)
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