『文鳥』
2017/05/14(Sun)
 夏目漱石著 『文鳥』 を読みました。
 今日、201回広島ラフカディオ・ハーンの会に参加したとき、風呂先生にいただいた昭和51年7月発行の新潮文庫に掲載されたものです。
 午前中、近くにある亀山児童館の母親クラブの総会に運動のため歩いて公民館まで行き、帰って昼食後すぐに201回広島ラフカディオ・ハーンの会に参加、帰ってたくさんの洗濯物を取り込んで整理し、くたくたでした。とにかく休もうと床に入って読みかけて眠り、3時間くらいして目覚めて読み終えました。
 爆睡した間夢を見ました。見た夢を覚えられるようになったことが、これは何かの能力がアップしたことと思えるので、こうして記録する必要を感じているところです。
 夢は、古文書を読んだ結果をどのように原稿用紙に記録するかを考えている場面のようです。その記録のやり方が、なぜか夢の中のことゆえ廊下を拭き掃除するやり方に置き換えられるのです。「だから、よく絞った雑巾で拭くのではなくて、まず水気をたっぷり含んだ雑巾で拭いて、なんでも書きやすいように、ほら!」と、とくに壁際を何度か試みに拭いてみると、なぜか夢の中でそうだそうだと納得するのです。

 私は、文鳥を読みながら、これが結局死ぬのよね。しかも漱石の粗相で・・・。とおもいながら、具体的にどんな粗相で死ぬのかは思い出せないでいます。人は、それぞれ同じ作品を読んでも感じることが違いますし、読んだ年齢によっても違います。またどう感じたかを自分自身でどう認識するかも違います。今日の児童館母親クラブの研修会で、深層心理で無意識のうちに捉えている部分が95%、意識的に捕らえているのは5%だとの説明を受けました。このたび読んでみて、実は、ずっと昔読んだときに不愉快に感じた部分が深層心理の中の何であったかについて今になって思い当たるような気がしています。この文鳥を籠とで当時のお金で5円も出して買って、しかも死なせてしまうという設定そのものがきっと不愉快極まりないものだったのです。
 私は、家に何匹かの牛、馬、山羊これは1頭のみ、鶏を飼っている家で育ちました。馬などは、今で言う大型トラックの値段がしたでしょう。馬に保険が掛けられる時代ではありませんでしたから、これが人間の粗相で死ぬようなことがあると大変だったと思います。母は「あんたたちはお腹がすいたというけれど、動物はいえないんだから、しかも、人間が勝手に綱をつけているものに餌をやらないと科料になるから」と、これらのものにきちんと餌をやらないと食事をしませんでした。そして、馬の餌代にいたっては農協に1頭につき家族全員の食事代くらいの支払いになっていたようです。我が家での動物たちは、私たち家族と運命共同体の一員だったのを知った大人になって読んだために、漱石の文学性を読み解こうという意識的な感想の裏にこういった深層心理が働いていたことにいまになってきづくのでした。
 このたびは、110年前に発表されたこの文章の中に、今の私に読めない文字、意味のわからない言葉、現代と表記の異なるものなどがどれくらいあるだろうかと書き出しながら読んでみました。印象的な用法は「自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと布団の上に卸した。」でした。あと、二遍目を二返目、一緒を一所と注釈に普通の「書き方では」として記してありました。
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