『100分de名著 高慢と偏見』
2017/07/01(Sat)
 廣野由美子著 『100分de名著 高慢と偏見』 を読みました。
 『高邁と偏見』は、英国作家ジェイン・オースティンの作品で恋愛小説のようです。
 このように『100分de名著』をつづけてブログ記事に書くほど本を読まなかった生活。春の収穫を食卓にと、うつつを抜かして食べることに精力を費やして過ごしていたことを今思っています。
 体力だけが自信につながっていた私が、5月20日の登山で最初の岩国の白滝山頂上で倒れ、少しの休息で立ち直ったものの、つづく大師山への縦走をあきらめたメンバーに迷惑をかけてしまってから、その原因となったと夫の分析する古文書の解読作業への思い入れがなくならないままの体力回復のためです。
 このような生活の中で、この『100分de名著 高慢と偏見』に出会ったことに、なぜか運命のようなものを感じます。
 ≪オースティンの恋愛小説では、概して、人物の行動範囲がかなり制限されています。しばしば描かれるダンスや散歩の情景も、会話を交わすための場面として設定されているにすぎません。そうした、オースティンの「狭い」小説世界では、行動よりもむしろ心理のほうが、大きな動きを示します≫
 と紹介され、現実的な態度で恋愛を題材にした恋愛小説という特色を補って、日本においては『源氏物語』が、そしてフランスにおいてはラファイエット夫人の『クレーブの奥方』を同種の感があるとも紹介しています。
 このような作品に運命的なものを感じたというのは、一昨日の夜広島市は大雨になり、大雨警報が出て避難指示まで出ました。 落ち着かない夜をすごしました。よく考えてみると、このような雨では、別に驚きもしないまま長年過ごしてきとことを思うからです。しかし、このように驚くほどでもないことがかさなって、少しずつ山を壊し、川底を浅くしと大きな災害につながっていくことを最近の身近な災害で感じることや、ラフカディオ・ハーンの会に1ヶ月に1回参加しているだけなのに、私の知ることのなかったそれまでの長い期間の活動が実って200回という感動的な記念事業に参加できたことなどに思いをはせていた矢先だったからです。
 この作品を評価しているのは、びっくりしましたが夏目漱石です。
 漱石は『文学論』で「Jane Austenは写実の泰斗なり」とその写実の力を評価しているというのです。写実力をそれまでのロマン主義的な文芸にたいして評価した漱石を思えば当然といえば当然ですが、なぜか私は漱石の日常の写実的な作品を退屈なものと避け疎んじたように思います。 『吾輩は猫である』・『坊ちゃん』・『夢十夜』の三夜と数々の俳句以外ほとんど興味を持って読んだことがなかったのです。
 これは歴史小説は読むが、時代小説はほとんど興味がないという私の読書体験への警鐘と思えてきます。

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