高松山ハイキング
2017/07/22(Sat)
7月12日水曜日 雨のち晴れ 中国文化センター前期第4回目のハイキングに参加しました。
  この事業には、4月12日水曜日の日浦山(ヒノウラヤマ)・5月14日水曜日の西条町の龍王山に続いて3度目の参加です。6月14日の瀬野川の蓮花寺山は、当日の前夜準備万端整えていたのですが、朝体調に自信がなく不参加でした。 
  このたびの高松山は地元で、何度も登ったことがあり、集合場所の可部駅まで10分たらずで夫に送ってもらえるというのが、なんといっても楽なので、体調にはすこし自信を持っての参加になりました。
 ところが、朝、8時ころまでひどく雨が降っていました。3年前の広島土砂災害で大きな被害のあった山ですから、心中穏やかではありませんでしたが、出かける少し前から天候は落ち着きました。
  送っても らった可部駅から、歩いて以前可部高校のグランドがあったところの登山口まで辿りつきました。ふもとの傾斜にあった墓地が、土砂災害に巻き込まれて無残になっていたところ、このたびも、復旧工事中でしたが、準備体操をしている間に工作機械を止める準備などをしてくださり、通してくださいました。墓地が、少し小さくはなっていましたが整理されて、石造りの鳥居も立てなおしてありました。
  災害のとき、山の中腹から、崩れたあとも生々しい谷の右側をずっと登っていきましたが怖さは並大抵ではありませんでした。やっと、左に谷を渡って大文字のほうを登り神社に出て、広い境内でみんなゆっくりの休息を取りました。神社の左側を見たことがなかったので覗いて見ますとかなりな急傾斜地でびっくりしました。神社の右側の横を通り抜けて頂上はすぐです。2時か3時ころからまた雨が降るとの予報のため、なにかしら一生懸命登りましたが、頂上まで来るもう大丈夫と、体調、天候ともなんとなく安心して、楽しく食事をすることができました。いつも登っている緑深い福王寺もよく見えます。
  頂上では、1221年の承久の乱で、熊谷氏の直国が討ち死にしたため、その子直時にその勲章として三入庄を与えられてこの地にきて、ここに山城を築いたことを記した、看板もあり、以後、毛利が萩に領地変えになるまで居城であったことをしのびます。
頂上での講座は偶然にも、「雨の日の登山と対策」でした。
  東から降りる道では、以前夫と登ったとき、これは土濠だと教えられたときの土濠2本を越えて、市水道局給水所方面へ向かい、広い道路に出ました。そこの道路では、城主上り口という立派な立て札がありました。降りる南向きの道々が土砂災害で甚大な被害を受けたところです。家などきれいに取り除かれた更地には小さな青い花がたくさん咲いていました。
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