『民話―伝承の現実』
2017/07/27(Thu)
 大島廣志著 『民話―伝承の現実』 を読みました。
 本書は、月初めの第203回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加したとき、すでに持っているのに、また買ってしまったのでと、風呂先生からいただいたものです。
 ハーンの作品には、日本の「民話」からの再話もおおく、なるほど民話についての本も参考資料としては欠くことのできないもののように思えます。
 さいわい冒頭が、ハーンが再話にしている「雪おんな」伝承論 となっていて、内容については、1 書承文芸の口承化、2 ハーンの「雪おんな」、3 比較文学からの探求、4 「息を吹きかけて殺す」モチーフ、5 各地の「雪女」論、6 「雪女」譚の原像、となって、民話研究の視点からの、ハーンの雪女に言及があります。
 「雪女」はハーンの再話のなかでも、調布村の農夫から聞いたという話で、原本のない再話です。そのため、ハーンの作品の翻訳家や研究家は、ハーンの生い立ちや、彼の愛読書や、時ときの心境が伝わる書簡などからの考察がほとんどです。著者の大島廣志氏はそれをふまえつつ、日本全国に様々な形で伝えられていた「雪女」を比較検討し、考察をするなかで、このハーンの雪女の特徴を述べられています。この部分では、ずいぶんと説得力を感じました。
 このたび、みじかい作品ということもあって、英語の苦手な私ですが、ほとんどの単語を辞書で引きながら、英語圏での単語の持つ広がりや雰囲気が掴めないもどかしさを感じながらはじめて英文で読んだことも、以前よりはすこし作品の持つ息遣いから来る迫力を感じ取ることができたように思います。そのあとでこの論考と出会ったことで、著者の評論をより身近に感じ取ることができたように思います。
 ほかの研究も読み進みますが、じつは民話、昔話、説話、伝説といったものがいったいどのように仕分けられているのかわかりませんし、考えたこともなかったことに気がつきます。
 著者の大島廣志氏は1948年生まれとありますから、私と同級生かもしれないと思われます。また、國學院大学卒とあります。國學院大學というのは、神主を養成する大学でもあることを恥ずかしながら、つい最近知ったので、そこでの研究ということで興味深く読ませていただきました。
 そのような環境の大学に入学されて、1年生の時に講義を受けられていた野村純一先生に誘われて青森県下北半島「民族文学研究会の採訪」に参加されてからの民話へのかかわりということです。
 最後の「あとがき」の前に、深い影響を受けられた國學院大學名誉教授の野村淳一氏から―「民話」の旗手―という文章が寄せられてあります。
 ここでは、「民話」という言葉には、市民社会で言うところの「民話」と、学術用語で言うところの「民間説話」の略語としての「民話」があるということが述べられています。
 本書のタイトルに掲げられている「民話」は市民社会で言うところの「民話」のようです。
 ≪本書の著者大島君が時代に先駆けてこの「民話」世界に身を投じたのは大学を卒えると直ぐのときである。「民話と文学の会」を結束し、そのまま雑誌『季刊 民話』を刊行し始めるようになる。「民話」の擁しているエネルギーを庶民の根源的生命力の一つだと見とって、これを広く開放しようと試みた。・・・≫と述べられています。
 「雪女」について、ハーンの作品を何度か読み、考えて、やっとここでの論考が理解できたのですが、そのほかの物については、民話を読んでいないので理解が及びませんでした。それでも確かに、映画やテレビなどのない時代と現代とは、市民生活の中で、文化的に民話といったものの位置づけが違っていくことは確かだということを思わされました。


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