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『保守とは何か』
2017/09/02(Sat)
 福田恒存著『保守とは何か』をすこし読みました。
 文春学藝ライブラリー2015年第3刷発行の文庫本です。
 先日、小泉八雲著 平川祐弘訳 「ある保守主義者」を読むときに、保守という言葉について、これは、その地域その時代によって違うものではなかろうかと思っていたとき、図書館で、この本を見て借りてみようと思ったのでした。
 著者の名前は知っていたものの作品を読むのは初めてで、それへの興味もありました。
 しかし、読み始めてみると、胃が痛くなってきます。仕方なくところどころ読んでいき、最後の「解説」にいきあたると、感じるところがあり、また少し読み返しました。
 「解説」の著者浜崎洋介は、福田恒存が1912(大正元年)生まれであるのに対して、1978(昭和53年)生まれです。ついでに言えば、ほぼ1949年生まれの私がその中間どころです。
 ここで、生年月日にこだわるのは、ここでいうところの保守がよくはわかりませんが、生まれによって保守のイメージが変わってくるような気がするからです。
 この解説者が、自分の生まれた世代について述べているところに大変興味を抱きました。
 ≪戦後の、しかも高度成長期後の日本に生まれた私には既に自明な伝統などありえなかった。と同時に、冷戦後の時代を生きる私には、既存のイデオロギーはどれも偽物にしか見えなかった。とはいえ、消費生活の夢に戯れるといった余裕もバブル崩壊後を生きる世代には許されてはいなかった。いいかえれば、頼るべき過去は既になく、来るべき未来も未だなかったのである。そして、既にないと、未だないという二重の「ない」を生きるデカダンスが最後に縋るのは、いつでもロマン主義的な観念である。今ある現実の彼方に、ここではないどこかを思い描くこと。そのユートピアによって、断片化する社会と、あてどなく浮動する私の不安を吊り支えること。進学するでも、就職するでもなく大学を出た私は当時柄谷行人によって結成されたロマン主義的政治運動NAMに向かうことになる。・・・・・実際、NAMは、たった三年余りであっけなく潰えていった、むろん、世間知らずの知識人が、おためごかしの綺麗事を並べて自滅していく図など、近代日本にはありふれている。しかし、自らのルサンチマンに目を瞑り、周囲の忠言に耳を貸さず、難解に秘教化された理屈を身元保証として、そのおためごかしに乗ったのは、他でもない私自身だったのである。とすれば、いまさらの自己反省や自己批判は全く無意味だろう。なぜなら、反省し批判している当の「私」自身が一番信用ならないのだから。「自己喪失」という言葉の意味を、私は初めて思い知る気がした。・・・・・・≫この文章に続いて本文を読んでいくのなら、著者福田恒存の文章が少し理解できる気がしてきます。
 それにしても、この解説を読むと、今40歳くらいの人たちの行動が痛いほどに理解できてくるような気がします。
 
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