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『家道訓』
2017/09/05(Tue)
 4月20日から解読を始めた古文書の『家道訓』を一応解読して読み終わり、今朝、一つ一つの崩し文字を、もとの文字に書き換えた原稿用紙を綴りました。
 近所の加川さんにお願いして教えていただいていたのですが、8月は、お休みにしました。体調不良の私は、夫の入院もあったりして、その間古文書には全く触れませんでした。
 9月から再開して、2日に終わったのです。
 最後に辞書を引いたのは、
 ≪古人貧しきハ束脩をおくり冨め流盤玉帛越於く流(古人貧しきは束脩を贈り、冨めるは玉帛を贈る)≫にある、束脩玉帛で、束脩は干し肉、玉帛は玉・絹でした。最初に引いた古語辞典にはなく、漢和辞典で確認できました。
まだまだ辞書を引いて調べるべきものがあったとは思うものの、完璧と思えるようにはなかなかいかないものだと改めて思います。
 そうはいってもできるだけ完璧に近づけたらとの願いから、途中から、歴史書もよく読まれていて博学な水野さんに仲間に入っていただきました。
 わかっているつもりで見過ごしてしまうところに気づくことができたり、彼女の今までの経験によって、解読が広がり、深められていくことへの願望がありました。
 とにかく読めるようになりたいと家庭で解読書を利用して、努力に、努力を重ねた彼女は、家道訓の終わりの方では、解読書を観ないでスラスラ読めるようになりました。
 私が、20歳代の時、可部公民館の古文書の会に入れていただいて少し学んだ時のことを思い起こしてみると、水野さんが参考にした解読書の、斉藤茂吉著、(貝原益軒の名著『家道訓』を読む)という副題のついた『人間としての最高の生き方』という本は出版されておりませんでした。
 それで、彼女にその本を紹介し、彼女が図書館で見つけてこれを予習に利用したのでした。このような本の存在によって、古文書の解読の方法が形を変えていったことにいろんなことを考えさせられました。
 主婦になってから大学に入って源氏物語の講義を受けました。講義内容については忘れてしまいましたが、購入させられた宮内庁書陵部蔵青表紙本源氏物語の『須磨』は、表紙の文字からして『春満』(すま)の崩し文字で、中身の解説以外の本文は、変体仮名です。授業がどのように進められたか忘れましたが、この変体文字については、講師の先生より、大学受験前に可部公民館で近世の古文書を少し学んでいた私の方がよく読めた記憶がありました。読めるということとこの作品の背景や内容や意味や文学性を知ることとは別の作業であることがよくわかります。
 このことは、私が翻訳もので了解するだけではほんとうにわかったといえるのだろうかと、無能にもかかわらず、原文に挑戦することと似ています。原文にこだわって、限られた時間の勉強が上滑りになったのが先月のハーンの会への反省になったことを思い、自分の能力の限界と興味への充足をいろいろ考えさせられ、次に挑戦する『理勢誌』への取り組みについても考えてみたいと思わされました。
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