『三次稲生物怪禄(ミヨシイノウモノノケロク)』
2017/09/06(Wed)
 『三次稲生物怪禄(ミヨシイノウモノノケロク)』を読みました。
 古文書を習っている加川さんに頂いたものです。表紙には『三次稲生物怪禄』に続いて「解読ノート{可部}古文書同好会」とあり、非売品です。
 もちろん加川さんも解読に協力された主要の一人ではないかと思われます。
 寛延2年(1749)、弟と二人暮らしの稲生平太郎16歳のとき、隣家の元相撲取りの三津井権八と五月のある夜に肝試しをします。五月雨の心細い夜を平太郎はただ一人、鳳源寺の裏山にある比熊山山頂の千畳敷に登り、触れると祟りがあるという天狗杉へ結びをつけて帰り、そのあと権八も登ってきました。
 それから二か月経った七月一日から三十日にかけて、夜な夜な、あるいは昼間から、だれか尋ねてきている人がいても、いろいろな妖怪変化の類が、手を変え品を変えて平太郎の家に出てくるようになりました。平太郎だけがいる時に出てくるのではないので、このことは三次や近郷の人びとの知るところとなり、門前に群衆が集まってきたりもし、あまりにも騒がしいので、村方役所より、「見物に出ざるように」とそれぞれの村役人に触れさせるほどでした。
 何かあってはと弟の勝弥は叔父に預けます。
 親戚の者、近所の者、家中の者と、狐のいたずらではないかとか、狸のいたずらではないかとかわるがわる跳ね罠を持ってきて仕掛けてくれたり、西江寺から仏影や野狐よけのお札をもらってきて居間にかけてくれたり、踏み落とし罠を持って来たりして応援に駆け付けてくれますが、どれもこれも役には立たず、みんな恐怖の為に逃げ帰っていきます。
 よく応援に駆け付けていた権八は、病を得て、怪異の気に打たれたのかついに死んでしまったりもします。
 しかし、平太郎は、だんだん相手にしなければ、どうということもなくおとなしくなることもわかってきて、疲れると、応援が来ない方がいいと思う日もあります。そんなことで、ときには命に危害が及びそうになるときでも、平太郎だけは平然として少しも怖がりません。
 そして、ついに七月の晦日、平太郎は「いつまでこんな物怪の守りをすることやら、頃合いを見て闘い討ち捕ろう」と思っています。日暮れ時には晴れて、夜十時頃また現れたと思い、ここぞと抜き打ちに切り付けると「待たれよ」と言い「左様にあせってもそなたの手に打たれるような、我にては非らず。言い聞かすことが有って此処に来たれるなり。刃物を収め、心を鎮められよ」とのべ、魔王の山ン本五郎左衛門と名乗ります。平太郎の大嫌いなミミズを出して彼をためし、平太郎の気丈を確認し、「平太郎は今年難に会う年だったが、もう難は終わった」と述べ、「しかしこれから難があれば北に向かってはや山ン本五郎左衛門が来たれり」と申すべしと言って、おじぎをしてでていき、それからは物怪も出なくなったという話でした。
 この書物に出てくる比熊山も鳳源寺や西江寺など見知っている私にとって、とても身近に感じることのできる怪談話でした。
 近いうち、改めて訪ねられたらと思ったことでした。

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