「妄想」
2017/10/17(Tue)

 森鴎外著、集英社の日本文学全集4森鴎外集から「妄想」を読みました。
 森鴎外を読むのは、ほんとうに年十年ぶりです。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』で、日露戦争時、兵隊が多く脚気で亡くなったとき、海軍は食事を改善しましたが、陸軍は軍医の森鴎外が改善を認めなかったためにさらに脚気で多くの兵隊が命を失ったことが記されてあり、何となく彼の作品から遠ざかっていたのでした。
 しかしこのたび、ハーンの会で、風呂先生が参考文献として挙げられていたので、「舞姫」につづいて、この「妄想」を読みました。
 ≪・・・・。そんなふうに、人の改良しようとしている、あらゆる方面に向かって、自分は本の木阿弥説を唱えた。そして保守党の仲間に逐い込まれた。洋行帰りの保守主義者は、後には別な動機で流行りだしたが、元祖は自分であったかもしれない≫
と西欧に真似て日本をあれこれ改良しようという意見に対して異を唱え、保守主義だと思われる部分が、いま、みなで学習しているハーンの「ある保守主義者」の参考資料となる部分です。雨森信成以外にも、明治の時代、夢を抱いて渡欧して、行った先の西欧に落胆して、逆に日本の良さがわかり保守主義になった人が数あったことの今一つの例を確認できます。

 何年かぶりに鴎外の作品を読んで、ここに告白されている彼の人生観に出合い共感でき、改めて読んでよかったと思えました。
 ≪自分はこのままで人生の下り坂を下って行く。そしてその下り果てた所が死だということを知っている。しかしその死はこわくはない。≫と述べているところ、また、
 ≪・・・その代わりに哲学や文学の書物を買うことにした。それを時間の得られる限り読んだのである。・・・・昔世にもてはやされていた人、今世にもてはやされている人は、どんなことを言っているのかと、たとえば道を行く人の顔を辻に立って冷澹に見るように見たのである。冷澹には見ていたが、自分は辻に立っていて、たびたび帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あったのである。帽は脱いだが、辻を離れてどの人かのあとに附いていこうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。≫
 西欧の哲学者が著作で、死を恐れないのは野蛮人だと述べているのに対して、森鴎外の心境がこのように語られていくのですが、「そうです。そうです。それが今の私たちの心境です。」と、まさしく今、私をはじめ、日本中に多数を占める高齢者の中の読書好きの人たちの思いを的確に代弁していると思えたことです。
 秋の夜長、大正時代の50歳の高齢者と、現代の私たち高齢者が共感できることに人生の深まりを感じています。

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