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『銀の匙』
2017/11/05(Sun)
 中寛助著『銀の匙』を読みました。
 インターネットの図書館の青空文庫で読ませていただきました。
 昨日、11月4日、第207回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加して、『銀の匙』にまつわるエピソードを聞いて、どうしても読んでみたいと思いさっそく読みました。
 焼津の文学ツアーに来た人が、ハーンともう一人『銀の匙』の著者中寛助のミュージアムも見に行ったことが書かれてあったことから、風呂先生が3年間『銀の匙』それだけを中学校の教材に使った灘中学校の国語教諭の橋本武の功績について話されました。
 ところで、この『銀の匙』は、前篇と後編からなり、前篇は自分が生まれたときのことから、叔母に背負われてばかりいた幼少の時代、そして小学生のころの思い出がつづられ、後半はそれから青年になるまでの心情がつづられていています。
 書いてある内容は、読み方によっては他愛のないものなのですが、一時代の風俗のなかで育っていく子供の育ちを通して、その時代を知っていくことができます。用いられている漢字は、当用漢字以外の漢字を使用した本を読まなくなって久しい私たち世代にとって、大変読みづらく難しいものです。あてずっぽうに読んでいきましたが、その時代をしっかり掌握できるためには、そこに使われている漢字を丁寧に読み取っていき、また、一つ一つの物や事柄を丁寧に知っていくことではじめて書かれていることが理解できるでしょう。
 この話で3年間授業をされた、灘中学校の国語教諭の橋本武先生について考えました。
 文中、兄に行きたくもないのに魚釣りのお供をさせられていたころの話に、
 ≪「なにをぐづぐづしてる」といふ。
はつと気がついて
 「お星様をみてたんです」といふのをききもせず
 「ばか。星つていへ」と怒鳴りつける。
 あはれな人よ。
 なにかの縁あつて地獄の道づれとなつたこの人を 兄さん と呼ぶやうに、子供の憧憬が空をめぐる冷たい石を お星さん と呼ぶのがそんなに悪いことであつたらうか。≫
 という部分がありますが、自分が先生と呼ばれて、それだけのことを子どもと一緒に勉強しただろうかと思ったとき、・・。また、
 ≪蚕が老いて繭になり、繭がほどけて蝶になり、蝶が卵をうむのをみて私の智識は完成した。それはまことに不可思議の謎の環であった。私は常にかやうな子供らしい驚嘆をもって自分の周囲を眺めたいと思ふ。≫
 というような文面がその先生の心境を映しているように感じられもしました。
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