『花や散るらん』
2017/12/23(Sat)
 葉室麟著 『花や散るらん』 を読みました。
 虚実混ぜ合わせての忠臣蔵にまつわる小説です。
 松の廊下での事件と、討ち入りについては子どものころから、年末、討ち入りの記念の日前後のテレビ放送などでよく知っていましたが、この小説では、もともとのことから始まり、仮説とはいえ、美しい作品なので、少し熱心に読みました。

 5代将軍綱吉の時代、低い身分の出身とされた家光の側室であった綱吉の生母桂昌院に、朝廷より前例のない従1位が授けられます。従1位を受けるための公家衆への働きかけをするその運動が、事の始まりです。
 綱吉の生母桂昌院に従1位を朝廷より授けさせ、将軍吉綱を喜ばせ、吉綱により取り入れられようとする吉良上野介と、桂昌院と対立している御台所信子率いる大奥、それに、その運動の為に、お金に困る公家衆に貸金をして、自分の意のままにしようとするやり方に反発し、朝廷を重んじる柳沢吉保との水面下の争いから小説は始まるのです。
 貸金に苦しむ貴族にお金の算段をするのが、尾形光琳です。銀主は、京都貨幣鋳造所の役人での中村内蔵助です。小説では、尾形光琳が書きかけている中村内蔵助の自画像を敵に盗まれ銀主がばれるという場面もあります。
 吉良上野介に仕え、京で金貸しをしている神尾与右衛門は武士としては屈強の腕前で、彼を亡き者にするにはと、高田馬場の決闘で名を馳せた堀部安兵衛を召し抱える浅野家しかないと、そのお鉢が回ったのです。浅野内匠頭長矩は幕府から、勅使饗応役を命じられ、柳沢保明からは吉良上野介を切ることを命じられるのです。長矩は安兵衛に神尾与右衛門を切るように命じるのですが、公家衆に無礼を働く吉良上野介のお家に討ち入り首をはねるのならいいが、それゆえ身分軽きを切るというのは卑怯のそしりを受け、大奥の揉め事に端を発したものに他家の家臣を切ればお家の恥ともなりかねないと断ります。長矩はこれ以上いえば安兵衛は腹を切りかねないとの思いからだんだん追いつめられていきます。
 松の廊下で、吉良を打ち取れなかったことは武士として恥辱です。その恥辱をはらすための討ち入りの資金も尾形光琳の助けで進められていきます。
 尾形光琳の思いは、武士として美しく散ってほしいというものです。

 この小説を読んでいる間に、私の従妹が大動脈解離で急に亡くなりました。
 彼女は赤穂浪士の討ち入りの12月14日が誕生日でした。
 18・19日と二日間、通夜と葬儀の為に残雪の田舎で過ごし、彼女の弔いをしました。
 昭和18年に生まれ、20年8月5日、入隊していた父親の面会に母親に連れて行かれて一晩過ごし翌朝、広島駅で被爆しました。
 父親と片方の目を奪われてのそれからの人生でした。
 ケロイドがあっても本当に美しいお姉さんでした。
 その花も散りました。
 そのときの広島・三次間の汽車のキップとその時着ていたワンピースが原爆資料館に預けられていて、私にとってはそれが形見となりました。


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コメント
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 何という傷ましい運命でしょう。
昭和18年生まれの従姉さんは奇しくも私と同じ日の誕生だったのですね。心からお悔みのご挨拶を申し上げます。合掌。
 大動脈剥離でのご逝去とは、剥離はもしかしたら解離ではないかと思います。心臓血管外科医が直ちに手術していたら私と同じように助かったかもしれないと思いますが、病院の規模にも違いがあったのでしょう。私が倒れた際には69歳でした、大動脈解離でしたが、人口血管に置き変えてくださったお蔭で九死に一生を得ることができ、今日迄も奇跡的と言われつつ生存しております。
 なお、あかね様と近しい従姉さまの被爆時着ていたワンピースが原爆資料館に展示されてあるとは、あまりに辛く哀しいことでした。広島の原爆資料館へは2度行きましたが、焼け爛れた人の手の皮が剥けて指先から下がっている人型を見たような記憶があります。美しい従姉さんがつい最近まで懸命に生きておられた現実に思いを深めるばかりです。
 今年も残り僅かな日々となりました。どうかご夫君共々、長生きなさって下さいね。
2017/12/23 20:02  | URL | みどり #-[ 編集]
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 棺の中の彼女の顔が思い出されて、涙があふれる日を過ごしています。ほんとうに安らかで美しい顔でした。
 「あるほどの菊投げ入れよ棺の中?」という漱石の句が思い出されて菊の花、トルコキキョウの花などを手折って次から次へと棺いっぱい入れました。
 「剥離はもしかしたら解離ではないかと」はそうだと思います。
 実は、夫が先ごろ入院していた私の住まいの近くの病院に運ばれてきて、手術を受けて16時間のち亡くなったということでしたが、病院から夜家に運ばれて次の朝早くに私は連絡を受けました。
 皆、磁石で取り除かれて引き渡されましたが、位牌の中に金属が多く含まれているのには驚きました。
 片方の眼が義眼であることはわからないほどで、本人も物心ついたときには片方の眼しかなかったので特別違和感はなかったかもしれません。それだけに痛ましいのですが、彼女はいつも心静かな人でしたので、私たち夫婦は何時の頃から私の母の実家なのに、彼女夫婦を心の実家にしていたのでした。 
2017/12/24 07:17  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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 葉室麟 氏が23日未明、福岡市内の病院でお亡くなりでした。連れ合いが葉室麟氏の小説が好きで沢山買ったようですが、私は全く読まずにおりました。氏は未だ66歳でのご逝去とのこと、病名は新聞に記載なかったので存じませんが、惜しい方でしたね。
「花や散るらん」此方の解説で親しみを感じました。歴史小説は虚実ない交ぜにした処が想像や推理を刺激しますが、最近の私は読み物らしい読み物を手に取らず、手軽なエッセイ集などで逃げています。あかね様の処へ伺うと反省心が湧くのですが、何故か読書に集中しきれません。本日も予約での耳鼻科へ午後遅く行かねばならず、そうした事が増えたことも原因でしょうか。
 来年は読書好きだった頃を思い浮かべ、長い読み物にも挑もうと考えております。
 今後共に、よろしくお願い致します。
2017/12/25 10:47  | URL | みどり #-[ 編集]
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 お知らせありがとうございました。
 若い死だったのですね。
 ほんとにびっくりしました。
 本のことですが、私も、文庫本の字が小ささに読めなくなっていました。また、古い本を読まなければいけないことも多く、紙が悪いうえに薄茶色になっていて、旧字体でルビは限りなく小さくインクは薄く、、、と泣きたいような気持でしたが、100円均一で度のひどい老眼鏡を買ったら、面白いように読めるようになりました。集中力より物理的な要件をまず満たせばいいのだとわかったのです。
 それにしても、みどりさんの場合はすぐ都心で、私のように田舎住まいではないのですから、「田舎の学問より京の昼寝」で、昼寝で十分文化的な生活が展開されるという底力がうらやましいです。
 
 
2017/12/25 23:53  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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