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『太田道灌』
2017/12/26(Tue)
 童門冬二著 『太田道灌』 を読みました。
 3か月近く裏山散歩ができない日々が続いていますが、裏山散歩で親しい水野さんが貸してくださった本です。
 この夏、同じく童門冬二著の 『小早川隆景』 を読んだときに、著者の経歴が作品に影響しているせいか大変良かったと話したとき、彼の本なら持ってるよと、童門冬二著のこの本と、『伊能忠敬』を貸してくださったのです。すぐ手にしたものの、なかなか読めないでいたのですが、やっと昨日から読みはじめ、読みだすとつい夢中になって、今朝読み終えました。

 1994年発行の本ですが、童門冬二は、「序」で、なぜ今太田道灌を書いたかということについて、今の時代が、太田道灌の生きた戦国前期の時代に似ているのでと説明しています。 またこの時代のことはどの歴史作家もよけて通る時代であり、その理由として複雑すぎることも述べてあります。道理で、私もこの時代の本を読んでいません。最後に、北条早雲が登場し、やっと私がよく読んだ時代につながるのを感じたのでした。
 それにしても、1994年と言えば今から大方20年前です。細川内閣から、羽田、村山と総理大臣が変わった年でもありますし、今では批判のもとともなっている参議院・衆議院の小選挙区比例代表並立制が施行された年でもあります。さらに、村山氏が自衛隊合憲の所信表明をした年で、広島ではアジア競技大会が開かれ、広島市の西北にある西風新都が脚光を浴びていました。

 まさに、太田道灌の時代も関東は混乱を極めます。

 私はこのたびは、一つのテーマをもって本を読んでみました。その人(この本では、太田道灌)にとって保守とは何かということです。
 足利尊氏が京都室町に幕府を開き、鎌倉に四男の基氏を関東管領におき、執事を上杉憲顕にしましたが、このコンビが関東をよく治め、何代目かにはその実績が京都を凌ようになり、いつの間にか勝手に「管領」を「公方」に「執事」を「管領」にランクアップするなどして、ついには京都の将軍職まで狙うようになり、これを諌めた上杉と足利公方との関係もまずくなることが関東の騒乱のきっかけになります。扇谷上杉の執事として仕えた太田道灌は周りの反乱を抑えるなど実績をあげていきますが、その秀でた能力ゆえに父親からも、扇谷上杉からもその本家の山内上杉からも疎まれ自分の居場所を失うなどのなかで苦しみ、自分は足利幕府の為に生きて働くのだと決意する部分があります。
 なるほど、彼にとっての心の支えとしているこの考えが、周りの人より高いところに据えているがゆえに孤独で、うまくやってゆけなかった部分もあったのかと思わされたのでした。
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