『乾山晩秋』
2018/01/03(Wed)
 葉室麟著 『乾山晩秋』 を読みました。
 2008年12月初版発行、2014年5月9版発行の文庫本です。
 やはりみどりさんが送ってくださった本『山月庵茶会記』・『さわらびの譜』・『この君なくば』に続く読書です。

 この作品は葉室麟の最初の作品で、歴史文学賞という賞を受賞したという作品です。 そして、彼の作品では初めて出会う短編です。この文庫本にはその他4編の短編が掲載されているのです。
 また、この作品は、わたしが葉室麟の作品に初めてであった『花や散るらん』の印象が深かったために、その作品の扇の要に思える部分がある作品でした。
 『花や散るらん』は、忠臣蔵を扱った作品です。
 赤穂浪士の討ち入りが、その後忠義の士として美しく忠臣蔵となって語られるほどにやり遂げられるには、誰が演出し、どれだけの経費がかかったのかというところをとらえて書かれているともいえます。ほかでもない尾形光琳が演出し、彼の支援者だった銀座役人中村内蔵助から資金が出たとのことが、四十七士を花と仕立てたのです。

 正徳6年(1716)6月2日に尾形光琳が享年59歳亡くなり、そのとき深省54歳から話は始まります。
 葬儀から数日後、乾山は親しい右京太夫と甚伍と3人でお茶会をし、その時、甚伍が少し前、商用で江戸に行ったときに聞いた噂話をします。14年前の赤穂浪士の討ち入りに絡んだ話として、どういったいきさつと人脈によって討ち入りのためのお金が用立てられ、光琳好みの装束で、討ち入りを果たすことができたのかが、延々と語られるのです。
 延々と語られたこの部分が、省略されて、『花や散るらん』が、忠臣蔵を語るのです。

 乾山が、≪「どうやら、わしは、この年になって兄さんのまねがしたくなってきた。兄さんは狩野探幽に勝とうと思うて、江戸にいかはったんや、と思う。そして、江戸から帰りはった兄さんは見事な紅白梅図を描かはった。わしにも、まだできることがあるかもしれん」≫と江戸に出たのは69歳でした。
 乾山は江戸で寛保3年(1743)81歳のとき光琳と同じ6月2日に亡くなりました。乾山の焼き物をみて、もいちどこの作品を読めたらと思います。
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