FC2ブログ
「一蝶幻影」
2018/01/09(Tue)
 葉室麟著 『乾山晩秋』 のなかの五作目です。
 『乾山晩秋』のなかの作品群は、短い作品の中に、多くの人名が語られていて集中力を欠くと、訳が分からなくなります。
 途中で、「あとがき」や「解説」を読んで、この話が、英一蝶(はなぶさいちちょう)という人の話であることが分かります。
 ついでに、ウィキペディアでこの人物を調べてみると、1652年~1724年を生きた人で、画家、芸人とあります。

 人物の大方もわかって、なるほど、と思いながら読み進むうち、途中で、夫が町医者に診察してもらって、安佐市民行院へ紹介され、そのまま入院ということになり、ドタバタしてしまい、うつろな気分で少し読んでは思いついた家事をやりながら、今日夕刻頃から興に乗って読み終わりました。

 時代は、5代将軍綱吉の時代で、やはりここでも、綱吉の生母桂昌院と、正室の信子との大奥の争いに巻き込まれることから話が始まります。
 このころは、中橋狩野家の安信のところを破門になり、吉原遊郭で客として楽しみながら、一方で幇間としても活動して、名を朝湖と名乗っていました。
 吉原で公家から嫁いだ正室御台所の信子を味方する公家方の右衛門佐という奥女中が、武家の話が聞きたいと言われ諜者の役割をするようになります。
 気がめいると、芭蕉案を訪ねる俳人でもあります。其角・その門の人とも親しくしていました。ところが、朝湖の誘われるままに遊女を身請けし、些細なことから町人を殺す事件を起こした六角越前守の取り巻きになっていたため奉行所にとがめられ、家宣が6代将軍になった大赦で許されるまで、11年間、三宅島に島流しになります。大変な生活で、生き延びれないと思っていましたが、偶然やはり島流しにあっていた右衛門佐がと自分のところへ橋渡しのための使いをさせていた日珪に出合います。日珪はその頃弾圧されていた法華経の信者で、島流しにあったとき、他の信者がついてきて世話をしていることから、いるものがあったら送ってもらってやると言ってもらい、やたら絵が書きたくなっていたので絵筆と絵具を頼みます。書いた絵を江戸で売って生活の助けにもします。
 このとき、朝湖は、なぜ芭蕉が苦しい旅を続けていたかがわかります。俳句を作ることが芭蕉にとって生きることだったと。


スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
<<『おもかげ橋』 | メイン | 「雪信花匂(ゆきのぶはなにおい)」>>
コメント
- 管理人のみ閲覧できます -
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/01/13 21:20  | | #[ 編集]
- みどりさんへ -
 お見舞いありがとうございました。
 今日、病院に行ってみると、夫は、「肺の水が抜けて楽になった」と嬉しそうにしていました。
 私は、昨日は疲れが出たのか、病院から帰ると昼食を済ませて、夕方まで爆睡していました。そして夕べも早くから寝て、今朝までぐっすり寝ておりました。そのせいか今日は、正月以来初めての元気でした。
 とにかく老いを感じる昨今です。
 みどりさんも体に気を付けてください。
 いつまでも舞台に立てられるよう切に祈ってます。
2018/01/14 21:07  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/1063-be68032a

| メイン |