『京都別格な寺』
2008/03/10(Mon)
宮元健次の『京都別格な寺』を読む。

この書は、第一章より感激する。
第一章の1が「広隆寺」である。
広隆寺は、私の大好きな仏像のひとつ「弥勒菩薩半跏思惟像」を安置しているし、何よりも大好きな「秦河勝」ゆかりのお寺である。
ここでは、秦氏がもたらしたという「自然暦」についての記述にはじめてであう。
木嶋神社の三柱鳥居について
≪三柱鳥居を、構成する三つの鳥居のうちの二つは、それぞれ夏至の日の出没の方位を示し、後もうひとつの鳥居も真南を向くことに注目したい。まず夏至の日の日の出の方向を向く鳥居の軸線を延長すると、比叡山山頂である標高848メートルの四明岳に達する。比叡山は、平安京の総鎮守である延暦寺の建てられた山である。
この軸線を180度反対方向へ延長すれば三柱鳥居の柱の一つを通過して、秦氏の氏神である松尾大社、そしてその背後の松尾山山頂に達することが分かる。・・・・≫
要するに三柱鳥居の指し示す方向の延長線上に
≪秦氏の遺構ばかりが自然暦を形成することから、偶然でなく意図的にこの地に鎮座されたと見られる。≫と考察をしている。

京都の町にあるさまざまなお寺や遺構を鳥瞰図で見てゆくことによって、実はこういった方角についての考え方から京都の建造物などが成り立っているという説明の最所である。

また、3の「清水寺」についての記述では、坂上田村麻呂が東北を平定してその首長であるアルタイをその母親のために祭ったという話は有名であるが、その東北遠征そのものが東北への鬼門封じであることはここの記述ではじめて知った。
もともと、征夷大将軍という職そのものが鬼門封じであるとも書かれている。
鬼門封じということで、多くの戦いによる犠牲者の霊を鎮めるためのお寺も多く建造されているという。よく考えてみると敵の霊を慰めるというのは不思議な気がする。
これが、古来からの日本人の罪悪感の現し方なのだろうか。
そういえば菅原道真を祭った天満宮などもそうである。

どの章も一々感激する。書き記していこうとするときりがない。

そんな中で、もうひとつだけ書くと小堀遠州のことだ。
千利休や古田織部についての本は何冊か出合ったことがあるが小堀遠州についてこれほど詳細に書かれているものにはじめてであう。
また、利休の茶碗や古田織部の茶碗などと遠州好みの茶碗を美術の本などで見かけることはあるが、作庭や茶室の建築物についてのことは知らないことだったので大変興味深く読んだ。
実は小堀遠州がかかわったのではないかといわれている庭や、茶室が京都には大変多くあるということだ。
それらが、西洋のバテレンなどから西欧美術の基礎を学び、多く取り入れているということが丁寧に説明されている。
以前『利休の妻たち』という本の中で利休の考案した「にじり口」がキリスト教の「狭き門」という言葉からヒントを得ていたものであったり、その他の一連の作法も色々ヒントを得ているという話であったが、小堀遠州も西洋の文化に出会うことによってあたらしいやり方を生み出していった。
美術図鑑などで見かけた遠州好みといわれた茶碗の優美な姿を思い出す。

とりあえず、方向についての説明や、庭の様子など図入りの説明で分かりやすい良書だ。

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