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『十二夜』
2018/02/03(Sat)
 小田島雄志・文 シェイクスピアジュニア文学館物語5『十二夜』を読みました。
 この読書記録には、小田島雄志氏が最初「『十二夜』について」という文章を書いておられるので、ほとんどそれを引用します。

 ≪『十二夜』(1601年頃)は、ウィリアム・シェイクスピア(1564年―1616年)が円熟期に描いた喜劇の傑作です。「十二夜」とは、クリスマスから十二日目の夜、つまり1月6日の夜のことで、東方の三博士がキリストの生誕を祝うために訪れた顯現日(エピファニー)にあたります。その夜は、ダンスや演劇などでにぎやかに祝うのが、シェイクスピアの時代の慣例でした。だから、このロマンティック・コメディーは、祝祭喜劇ともよばれます。
 ここには、だましだまされるための仕掛けが三つ用意されています。ヒロインの変装と、双子の登場と、にせのラブレターです。日常の世界では、女性が男装してもみやぶられることがあるだろうし、男女の双子がいくらそっくりでも、また手紙の文字がいくら似ていても、取り違えることはそうないでしょうが、演劇の世界では、そのまま信じることが約束事なのです。
そこで、たとえば偽のラブレターで、伯爵令嬢が召使である自分を愛している、と信じ込む男が出てきます。彼は、他人に騙された被害者にすぎないのでしょうか。そうではなくて、騙される前に、自分はお嬢様に愛されているとうぬぼれているのです。つまり、他人に騙される以上に、自分で自分を騙しているわけです。そう思うと、「真の恋をする者は、みなおれのように恋をする」という侯爵も、喪に服して男性を寄せ付けないと誓った伯爵令嬢も、結局はうぬぼれによる自分への思い違いがあるようです。そういうところに、この喜劇は、ただ面白おかしいだけでなく、「人生の味」が感じられるのかもしれません。≫

 本文を読み終わって、再度この文章を読むと考えさせられます。
 この本には、ウィリアム・シェイクスピア著 小田島雄志訳 となっておらず、文・小田島雄志とか、作者小田島雄志となっています。
 この作品のなかに日本語だからのダジャレが頻繁に出てきます。英語で書かれているはずのものに日本語だからシャレになる言葉がいっぱい出てくるのが不思議です。ですから、喜劇としての筋立てはシェイクスピアでも文は小田島雄志のものです。そのことでは、本当に感心いたしました。

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