『紫式部』
2018/02/09(Fri)
 学研まんが日本の伝記シリーズ まんが 北上諒、脚本 こざきゆう 『紫式部』 を読みました。
 これはこれは絵が美しいので、子どもたちにも人気があるのでしょう。2015年6月28日第1刷発行、2017年4月26日第3刷です。
 読後、美しい絵を見ながら、わかりやすく、いい授業を受けた感じです。
 ノートもとっているので、ここに文章にして、丁寧に移してゆきます。

 紫式部の書いた『源氏物語』は、全54帖(巻)で、世界最古の長編小説です。
 紫式部は、970年ころ生まれたのではと言われています。亡くなった年は、記録がありません。(このまんがの最後に、仕えていた彰子と実力者の藤原実資との間を取り次いだことで、彰子の父親の藤原道真に怒りを買って宮中をおわれたので、以後の記録がないことが想像できます。宮中を去った理由は体調がよくなかったなどいくつか言われているようですが。)
 紫式部の母親は早くに亡くなり、学者である父親、藤原為時に姉、兄と共に育てられます。紫式部が25歳のころ姉がなくなり、兄も越後に赴任している父親と同行していて亡くなりました。(計算してみると紫式部が41歳ころと考えられます)
 紫式部は20代後半で17歳年上くらいの藤原宜孝と結婚し、女の子の産み、賢子と名付けられます。そのあと、1001年に宜孝も、豊前の宇佐八幡宮に2か月くらいの予定で、お祈りに行くよう命を受け、出先で亡くなります。
 紫式部の書き始めた『源氏物語』がだんだん評判になり、次を早く書いてほしいと皆から望まれるようになり、書き写しもだんだん増えていきます。
 そのうち、一条天皇の中宮章子の母親の倫子と道長より、中宮章子の女房として宮中に上がるようにとの要請を受けて宮中に上がります。
 宮中では、先輩の女御などから偉ぶっているなどと、陰口をたたかれますが、彼女もそのことに気づき、心がけて、皆と仲良くできるようになり、後輩の歌人で評判の伊勢大輔にもその能力を発揮できる場を作ったりして仲良くなり、評判をあげます。評判をあげることで彰子も評判をあげ彰子との信頼関係は深まり、良き相談相手でした。
 
  作品中に取り上げられている紫式部の和歌一覧

  めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
  おぼつかな それかあらぬか 明けぐれの 空おぼれする 朝顔の花
  北へ行 雁のつばさに ことづてよ 雲の上がき かき絶えずして
  ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる
  水うみに 友呼ぶ千鳥 ことならば 八十の湊に 声絶えなせそ
  四方の海に 塩焼く海人の 心から やくとはかるる なげきをや積む
  おほかたの 秋の哀れを 思ひやれ 月に心は あくがれぬとも
  女郎花 盛りの色を 見るからに 露の分きける 見こそ知らるれ
  いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば
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