「人形の家」
2018/03/13(Tue)
 小泉八雲著 田代三千稔訳『日本の面影』のなかの、「人形の家」を読みました。病院での診察の合間に「生と死の断片」と2作読めました。2014年ハーンの会に入って次々にハーンの作品を買って読んでいたころ一度読んでいるのですが、双方とも初めて読むようで、何も覚えていないのが悲しいところです。「生と死の断片」では、心中をし損ねて苦しんで亡くなる兄を貧しさの中、7年間看病した弟の話ですが、最後の
≪わたしたちは、自分をもっとも苦しめるものを最も愛しているのではないかと、疑問をおこしてもよかろう。≫
という一文がひどく心に残りました。
 「人形の家」では、不幸な11歳の女の子へ寄せるハーンと万右衛門の優しい心情が、そのあと読んだ澤田ふじ子の、京都の奉行所に持ち込まれてくる様々な事件に寄せる、公事宿の人たちの心情と同系列に感じられるのが何とも心が和むのでした。
そんな思いがすんなり受け入れられたのは、その2,3日前我が家を訪ねた知人や、その日受診した医師の言葉でも感じたからかもしれません。
 2,3日前にわたしを訪ねた知人、手土産に加えて、「家にいる?」と電話した時のわたしの声がひどかったのでと、マフラーを編んで持ってきてくれたのでした。
 わたしの昨年10月からの声の後遺症のことから、彼女は自分の病歴について話してくれました。なんと私と同じく県病院耳鼻科の福島医師の手術で一命を取り留めたとのこと。わたしは痛みが全くないのに手術をしたので、半月ばかりの入院ですみましたが、彼女は痛みの為に町内の医師に診てもらい、すぐ県病院を紹介され、半年で2度の手術を受け、その後5年通ったといいます。
 わたしがちょうどその日の朝、田部隆二の『小泉八雲』を読んでいて、小泉八雲を明治29年に東京帝国大学に招聘した外山正一氏が明治33年に中耳炎で亡くなったというところを読んだばかりでしたので、中耳炎で亡くなったというのが、今の私たちには二人の経験からなんとなくそれがどういう経緯で死に至ったのかが想像できるようで、福島先生だったら治せるのにね。と言いつつ、「真珠腫という病気は頭がいい人がなる病気だってことがわかったね」と大笑いして慰めあったのでした。
 このたびは、彼女がその県病院に行きつくまでの話から、わたしも町内より他の耳鼻咽喉科に受診しようと思い立っての受診でした。「もし私の声が治らないというのなら、世間にこんな声の人に一人くらい出合いそうな気がするんですが、出会わないのであるいは他で治療を受ければ治るのではないかと思いましたので」と医師に告げると、のどの写真を撮って、これはこのまま普通にしゃべっていれば自然に治りますよと説明してくださいました。受診料を取るのも申し訳ないといった様子でした。

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