『三業惑乱』解読作業日記 3
2018/05/04(Fri)
 領解文の
 ≪もろもろ(諸ヽ)の雑行雑修自力の心をふり捨てて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御助けそうらえと頼み申して候。頼む一念の時、往生一定御たすけ治定と存じ、この上の称名は、御恩報謝と存じ、喜び申し候≫

 という蓮如上人の言葉から、私の後生は、摂取不捨の身に預けられていることを感謝して日を暮すことを知らされ、こういった私の命へも情愛をもっていてくださることを固く信じている証明に、私は私自身を大切に取り扱わなければいけないことを悟ることができたことを前回の作業日記で述べました。

 私自身の事はさておき、疑問が残ります。

 勝圓寺の隠居廓亮の町奉行所での弁明のなかに、「浅間敷機」ということについて述べている部分が何度かあります。

 「蒐る浅間敷機を本とたすけ玉へる不思義の誓願力なりと
深く信じて少も疑心なければ、必す弥陀は摂取し玉ふへし。
このこころこそ他力真実の信心を得るすがたとはゆふへきなりと御座候。

 といった具合です。ここでは「機」について一応『広辞苑』で調べてメモしています。「機に依りて法を説く」とあるように、仏教の真理は一つであるが、それぞれの機会に応じて適切な説法をする、です。

 私は領解文を了解できたのですが、世の中には、これを受け入れる心境でない人がいます。
 今日そのことを深く考えさせられる本に出合いました。若松英輔の著作による、この5月にNHKで放送される100分de名著 神谷美恵子の『生きがいについて』です。神谷美恵子は、ハンセン病の人と出会ったことによって医療者として向き合い、晩年にこの『生きがいについて』を著作した人です。生きがい喪失の苦悩の中にいる人や、またその虚無と死の世界から人生および自分を眺めてみたことがあったのにそこから脱することができた人などと接して、多くの哲学や宗教、そしてそれ以外の何か大きな力といったようなものにも思いを馳せ、救われない「生きがい」というような言葉で語る処の命について考えた作品です。
 蓮如上人はむしろこのような人こそが救われてほしいと願ったに違いありません。そしてこういった人たちが救われていく言葉が、「機」なのではないかと、切に感じたのでした。
 其れの一つが、ハンセン病患者の人の一つの詩です、

  土壌  志樹逸馬

わたしは耕す
世界の足音が響くこの土を
・・・・・・・・・
原爆の死を、骸骨の冷たさを
血の滴を、幾億の人間の
人種や 国境を ここに砕いて
かなしみを腐敗させてゆく
わたしは
おろ おろと しびれた手で足もとの土を耕す
泥にまみれる いつか暗さの中にも伸ばしてくる根に
すべての母体である この土壌に
ただ 耳をかたむける。


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