第213回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/05/19(Sat)
 5月12日土曜日、第213回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に夫婦で参加しました。
参加者は14人でした。
 先月に引き続いて貝嶋先生の「ある保守主義者」の英語原文の翻訳解説が、いよいよ本腰を入れて始まりました。
 先月や、先々月もしてくださったのですが、会員みんな、風呂先生が亡くなられての落胆と悲しさでなんとなく気持ちがとどこおりがちになっており、貝嶋先生も急な役回りで戸惑いがある中での学習会でした。
 このたび先生は、他の翻訳者と自分の翻訳の特性の違いについて話しながら解説してくださいました。
 たしかに、文学作品として、読者を楽しませる目的で翻訳する場合と、その作品を映画化して、出演者の喋る言葉を吹き替えるための翻訳文や、字幕で使うための翻訳文とはおのずと違いがあることがわかります。どれも、作者の伝えたいテーマにそって訳すにしても、改めて、翻訳にもいろいろな用途があることに気づかされます。
  翻訳者の説明付で学べるチャンスに恵まれながら、私の英語への知識のなさが悔やまれます。悔やんでも仕方がないのですが、よく考えてみると、私が今解読している古文書への私の最終的な目的は、この古文書の内容をドラマ化できたらと願っていることです。ほとんど妄想に近い願いですが、その願いの為に、昼夜を分かたず古文書の解読に熱中しています。この古文書の大方の内容は、「三業惑乱」という事件の奉行所での裁きでの尋問とその受け答えで成り立っています。
 いままでどおり、なにげない江戸時代の古文書と思ってやり始めましたが、少し読み始めて、これは小泉八雲の「ある保守主義者」のなかの保守の内容はなにかという私の疑問の一端を提示してくれるものではないかと思いながらの解読になり、さらに、「三業惑乱」記念碑があり、この古文書の一部分のコピー提供を受け、現在、解体新築中のお寺に解読文を奉納しようとの思いになり、そして、澤田藤子の公事宿のドラマのようにドラマ化するための原作書になるように会話部分を江戸時代の雰囲気を残しながら見る人にわかるように書き直せたらと、とても熱い思いを抱いているのです。
 こんなことに情熱を傾けることによって、風呂先生の亡くなられてしまった寂しさを紛らわして暮らせることでとても助かってもいる昨今ですが、このようにつらい気持ちをほかのことに向けることでやりすごす生活のやり方を、福井の近く金沢ではそのむかし「方便な人や」と云ってほめていたのだそうです。
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