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『ペスト』
2018/06/03(Sun)
 中条省平著、100分de名著 アルベール・カミュ著『ペスト』を読みました。
 ≪北アフリカのある町が、突然、疫病禍に襲われる。人々はこの災厄を乗り越えることができるのか・・・ 。不条理に反抗する人間のありようを描いた傑作小説『ペスト』の現代的意味を考える。≫
と著者が表紙で語っています。
 ペストがはやり始めて、医師のリウーはペストではないかと、医師会の会長に新たな患者の隔離を要請しますが、その資格がないと断られます。
 皮肉に感じたのはそれからです。
 ≪医師リウーは、県庁で会議を開いてもらい、そこでいかにも官僚的な姿勢を代表する医師会会長リシャールと対立します。法や行政は、現実より形式的な言葉のほうを大切にしますから、ペストがもたらす厄災への対応ではなく、ペストという言葉をどう定義するか、その言葉がどういう影響をもたらすかといったことばかりを議論しています。・・・「いいまわしは、どうでもいいんです」とリウーはいった。「ただこれだけは言っておきましょう。我々は、まるで市民の半数が死なされる危険がないかのようにふるまうべきでない。なぜなら、そんなことをしたら、人々は実際に死んでしまうからです」≫
作品の解説書ですから、このようなところは本当の作品を読んでみたい気がします。このようなやり取りが、その国やその時代の、考え方や実施の現実を垣間見ることができるからです。
 結局リウーの意見は受け入れられず、
 ≪死者の数はうなぎのぼりに増加し、ようやくペストという病名が認められるのは、責任を回避していた県知事のもとに電文が届き、植民地総督からの命令が下されたときでした。「ペストの事態を宣言し、市を閉鎖せよ」。つまり市を丸ごと閉鎖し、ペスト地区として隔離せよという命令です。≫
 東北震災のあとの原発への政府の今へも続く対応に似てもいます。
 また、この作品は群像小説を目指したと述べられていました。
 さまざまな境遇の中で、いろんな考え方をする人が、元気だった人が突然高熱を出して死んでゆくという厄災との不条理の中に閉じ込められてしまいます。
 パヌルー神父が
 ≪「なぜ、あなた自身はそんなに献身的になれるのですか。神を信じていないのに?」・・医師は・・もし自分が全能の神を信じていたら、人々を治療するのをやめて、人間の面倒をすべて神に任せてしまうだろうから、といった≫
 カミユは、人間は世界の一部にすぎないということを絶えず考え続けた人だと著者の解説があります。
 この作品は、水俣病で苦しむ人のことを書いた作品や、ハンセン病の事を書いた作品を思い起こさせます。人間は、そんな環境におかれたとき、その実相のなかに、その敗北のなかに、見出す人間本来の生きるということの本質を見つめざるを得ません。そんなことを描こうとしていることを感じます。   


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