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「現代日本の開化」
2018/06/26(Tue)
 『漱石全集』 第二十一巻の中の 「現代日本の開化」 を読みました。
 いま、精力的に読んでいる伊藤秀輔編 『夏目漱石を楽しむ』 という木曜会出版の本で、漱石の明治四十四年の講演記録 「現代日本の開化」 の紹介があり、何十年ぶりに岩波の新書版の漱石全集の一冊を開きました。
 読みかけた本をさし置いてこれを読もうと思ったのは、ラフカディオ・ハーンの「ある保守主義者」との比較を思いついたからです。
 ハーンの見た日本の文明開化と、漱石の見た文明開化の比較です。
 漱石を熱心に読んでいた三十代の初めころ、漱石が悲しみを込めて、「コロコロ、コロコロ西欧化に向かって転がっていかなければならないのです。」といった意味のことをどこかに書いていたことが忘れられずにいました。
 この作品だったかなと思って読むと、ここでは、

 ≪時々に押され刻々に押されて今日に至った許りでなく向後何年の間か、又は恐らく永久に今日の如く押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というより外に仕方がない。≫とか、≪涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです。≫
 という表現で、滑るに傍線まで引いていました。
 ≪斯う云う開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。又どこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。夫を恰も此開化が内発的でヾもあるかの如き顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それは余程ハイカラです。宜しくない。虚偽である。軽薄である。・・・≫といい、開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと言っているのです。
 これらのことを読んでいて改めて、漱石自身は自己本位の内発性を取もどすことで、外圧によって失った自分自身を取り戻すことができると考えたとき、自分に自信を持った経緯があることを確認し、これが彼の個人主義であったりしたことに思い当たることができてくるのでした。
 此度この作品で感心したのは、開化ということの定義を説明するのに、定義という言葉の定義から始まって、開化を定義するのに、水も漏らさぬ慎重さで絶対に誤解させないというほどの説明をしているところでした。じつは土曜日私立の中学校へ通い始めた孫の中間テストの試験用紙を見せてもらいました。老眼鏡なしで見たので難儀もしたのですが、歴史ならこんな年端のいかない孫に負けはしないと高をくくって設問を読むと、基本中の基本の問題すぎて、これがわからぬようではと思っていることが、じつはわかったつもりになっていて、正確に解けないということがありました。帰って同じ中学校出の夫に聞いてみると、答は正確で、その説明も孫の説明以上でした。
 漱石の事もわかったつもりでしたが、まだまだといった思いになりました。
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2018/06/27 21:34  | | #[ 編集]
- 菅 慶司 様 -
九州を旅行したとき、少し寄り道をして、上益城郡山都町へ向かい、それまで交流のあった柔道の山下泰裕の従妹(以前にあったNHKの青年の主張で、賞を取られた方です)にあたる方ともお会いしました。彼女は崩れかけた熊本城を見たとき涙が止まらなかったと言われていました。
熊本城はじめ此度の豪雨でさらに被害を受け、皆様には力を落とされておられることでしょう。
改めてお見舞い申し上げます。
ハーンの会から『石仏』を間違えて持ち帰ってしまったことが、熊本の方々の復興への頑張りに心を通え合わせることができたことは、偶然の仕合せです。
まだまだ、ほっとされることが少ない日々だと思えますが、私の拙い読後記録が、少しでも皆様の災害復興への励みになったとすれば幸いです。
2018/06/28 17:24  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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