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『赤猫異聞』
2018/06/30(Sat)
 浅田次郎著 『赤猫異聞』 新潮文庫 を読みました。
 一昨日裏山に登ったとき、展望台で秋末さんが、中国新聞の切り抜きをくださいました。
 日曜版の「武一騒動」に関する記事です。展望台にいる人は、数人がすでに読んでいて、展望台は武一騒動の話題で持ちきりになりました。下山道でも大方その話題でした。
昨日は上奥さんがこれをあげるよ。と、この文庫本をくださいました。そのあとラジオ体操をしていた途中から、豪雨になり、大水が流れる道路、傘などあっても無くてもという勢いで、玄関にたどり着くとただの水の滴る山姥になっていました。それでも、この文庫本を水筒袋の底に入れていたビニール袋を取り出してしっかり包み、一滴の雨にも当てずに持ち帰ったのは本当に奇跡に近いと思えるほどの豪雨でした。

 「武一騒動」は明治4年の出来事ですが、この作品は、途中から明治元年になった年の12月25日、江戸に大火が発生し、伝馬町の牢屋敷の囚人400人を解き放ちにしたことに端を発する物語です。

 江戸時代から続いた奉行所配下の牢屋敷、そこに徳川幕府開府以来明治に至るまで、≪石出帯刀はじめ、配下の同心六十人は、名目上いわゆる一代抱の分限であっても、手代りの侍などいるはずはないから、つまるところは父子永代の不浄役人とされておりました。≫とある、この不浄役人の鍵役同心丸山小兵衛について書かれたものです。

 江戸時代二百七十年中でも何十年に一回の大火、大火による囚人の解き放ちというような決断をどのようなタイミングで、どのようなやり方でやればよいのか、自分たちは幕府の役人ではあるが・・・、御一新の直後の修羅場、勿論二・三か月前にできた新政府は司法にまでは手が回らず、司法のこのようなことにまで、トップダウンの道筋はついておらず、そんな中で、子どもの頃学んだ、「法は民の父母なり」という教えを自分の職分として心におき、その職分を全うすべく鍵役同心丸山小兵衛が最後の仕事をして、おなじ鍵役同心に最後の仕事として、自分の首を斬らせます。

 ≪時は明治元年暮。火の手の迫る伝馬町牢屋敷から解き放ちとなった訳ありの重罪人たち・・・博奕打ちの信州無宿繁松、旗本の倅岩瀬七之丞、夜鷹の元締め白魚のお仙。牢屋同心の「三人のうち一人でも戻らなければ戻った者も死罪、三人とも戻れば全員が無罪」との言葉を胸に、自由の身となった三人の向こう先には・・・・・。幕末から明治へ、激動の時代をいかにいきるかを描いた、傑作時代長編。≫
 と銘打っての作品ですが、最初から最後まで、気の置けない作品でした。

 小泉八雲の「ある保守主義者」では武士の子ならではの育てられ方を描いていますが、上は公方様から旗本、末は不浄役人と言われ蔑まれている人間に至るまで、腰抜けもいれば、悪人もおり、心を据えて、自分の職分を果たし、人間として恥じない立派な生き方を心がける人もいることを描いているのでした。

 あれから8年のちの明治8年、鍵役同心丸山小兵衛に三度まで命を助けられた、高島交易商会社長高島善右衛門こと博奕打ちの信州無宿繁松が、典獄様から、急に呼び立てを受け、解き放ちの時のことについて尋問されて答える部分に、
 ≪・・・四六のこの齢まで相変わらずの不信人なんだから是非もござんせんが。いえ、感謝はいたしておりやすよ。ただ、功徳を
恃んで寄進をしたり、手を合わせたりするのが嫌いな性分なもんで。
 あっしァこう思う。人間はみんな神さん仏さんの子供なんだから、あれこれお願いするのは親不孝です。てめえが精一杯まっとうに生きりゃ、それが何よりの親孝行じゃござんせんか。だから、寄進する金があったらその分給金をはずむか、お国に使っていただくか、貧乏人にくれてやります。それが一等、神仏のお喜びになることだと思いやすので。私も遅ればせながら人の親になりやした。・・・・。≫
 最後のどんでん返し、 なかなか、しびれる作品でした
 

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コメント
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2018/06/30 20:43  | | #[ 編集]
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了解です。
2018/07/02 10:36  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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