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『夏目漱石を楽しむ』―木曜会―
2018/07/11(Wed)
 伊藤秀輔・編集 『夏目漱石を楽しむ』―木曜会― を読みました。
 木曜会という会の会誌のようです。
 木曜会会員の松井卓子さんに頂きました。

 まずは頂いた松井卓子さんのエッセーから読ませていただき、あとは本の全容を目次などにて知ります。前書きに、昨年10月に亡くなった横山先生が、話題に出てくるところでは、えっ!横山先生の講座から端を発してできた会なのかとびっくりしました。
 横山先生は、広島文教女子大学の国文で近世の文学を指導されていたのですが、私が入学すると間もなく、広島大学付属病院に入院され、ほとんど講義を受けたことがありませんでした。どういういきさつか記憶がないのですが、私は其の大学病院へ一人でお見舞いに行ったことを覚えています。もともと青白い顔色をされていたように思うのですが、見舞いに行くと昏睡しておられて、その顔色が蒼白だったので、もう長くないのではと思ってそっと包みを置いて帰った記憶があります。
 一コマでも講義を受けたわたしは横山先生の事はよく存じ上げていたのですが、2・3年前、夫と先生の御自宅を訪ねたときには、私の事はご存じありませんでした。それでも先生からは大連の大学のことなどいろんなお話を伺い、その時のことはこのブログにも書き記しています。しかし、このような会についてお話を伺うことはありませんでした。

 あらためて、区民図書館の読書会からこのような本が出版されたことについては、その企画の素晴らしさに感心しました。
 本のタイトルにもなっている『夏目漱石を楽しむ』というそのことを、研究する会員もこの作品を読む人も、楽しみながら漱石に接することができるという意味では、ほんとうによくできた作品です。
 64ページの講演「現代日本の開化」まで読み進んでいきなり脇道にそれ、持っていた漱石全集の中からこの「現代日本の開化」の本文と解説を読み、解説にこの内容に関連することを述べている作品の紹介から、『吾輩は猫である』、『虞美人草』の一部と『三四郎』を、全文読み返しました。そして、私が勝手に関連づけた小泉八雲の「ある保守主義者」、『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』と読み進んでいき、際限なく、読書が進んでいきました。
 そうなると、この本は漱石を楽しむためのダイジェストとして、親しんで横における本になりました。

 そして、このたび漱石とこのように親しんで、私と漱石の関係がずいぶん変わってきました。
以前の私は、旺文社文庫の特性版『吾輩は猫である』をトロトロになるほど読み込んでいますが、印象としては、漱石の作品はこれと『坊ちゃん』以外いいものはないと思ってきました。
 そして、長野県の教育委員会に頼まれての公演記録「教育と文藝」のなかで、ロマン主義と自然主義のバランスについて述べているところは読んで以後、私にとって、世の中を見る時の振り子のような役割をするようになったことも印象的です。何となく高校を卒業してから、大学に行けなかった私は何かにつけて社会教育ということに焦点を置いて生きてきたのですが、この社会教育という言葉が文学者から語られているのを最初に知ったのはこの講演記録でした。
 文学論に数式を用いているのも印象的でした。新聞連載の作品などは、この数式に従って書いていくというスタンスが貫かれているように感じられるという印象をもって長年過ごしてきました。
 子育てをしながらの短期大学での卒業レポートは「漱石と漢詩」というようなタイトルで書きましたが、これは大いに失敗しました。今考えると当時は何をやっても失敗しただろうと思います。ただ、当時親しくしていた教育原理の先生に漱石の則天去私の話をしたところ知り合いの方に書いてもらったからと言って則天去私とかかれた色紙をくださいました。このまえ部屋の模様替えをしているときこれが出てきて懐かしく思ったことでした。
 私が長年抱いてきた漱石像はこんなものでした。

 このたび、すこし古文書の解読作業したあと読んでいくと、漱石の文章に使われている漢字と、それに添えられているルビの読みについて、漱石がこのような小説を書いていた明治40年代から110年の間に、ずいぶん日本の読み書きする言語が変わったという印象を受けます。古文書で読めなかった「暇令」という文字に「たとえ」とルビがあったりして日本語の複雑さを改めて考えます。しかし、逆に漱石はこう云った複雑な言語を上手に使って小説を書いていると言った感じがします。その余裕によって成り立っているようにも思えて、その余裕を充分に感じられる読み方ができるというところが以前と違った感想と思えてきます。

 「木曜会」同人のエッセーは楽しく2回も読ませていただきました。宮崎とし子さんのエッセーの中に、子どもの頃、カバヤ文庫を読んだとありましたが、2・3年前岡山のカバヤに、そのカバヤ文庫を見せていただくために夫婦で訪ねたことを思い出し、岡山の県立図書館でもこの文庫の痛みがひどいので探している様子もうかがってきました。山奥で育ったわたしはカバヤ文庫については知らなかったのですが、ここでは、楽しく読まれた人もあったことを初めて実感致しました。

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コメント
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 こちらは猛暑続きですが幸い台風もないようで、安全地帯のようです。被災地の皆様の困難や深い疲労を思うと申し訳ない気が致します。
どのような中でも自己を見失わず、思索をめぐらす事のできる、あかね様の強さと学問好きには度々教えられております。
ここ数日、学びなおしの大切さを痛感することばかりでしたので、自分の怠け癖を少しばかり反省しました。
なお此方の漱石関連の記事面白く読ませて頂きました。芥川龍之介が好きで、漱石には殆ど興味を持たずにきてしまいましたが、現在なら読めそうな気がしてきました。色々教えを頂いた思いでおります。
2018/07/15 10:08  | URL | みどり #-[ 編集]
- 大切なみどりさんへ -
 このたびの災害は私も映像で見るばかりでしたが、昨日古文書解読の私の先生の加川さんのお見舞いに行く途中、映像では取り上げるには至らなかった浸水のあった地域を通りました。道沿いの小学校の庭に被災したものを校舎から出して水洗いしたものや、使えなくなったものが泥付きでまとめられているのを見ました。また、反対側の公民館でも、玄関から駐車場に同じようにいろんなものが職員によってまとめられようとされていました。和室の畳かなと思える畳が立てかけられているのも印象的でした。
 すぐの所に芸備線の線路があり、ずっと上流で線路が流される映像が何度か放映されたのですが、まだ開通していない踏切で、すこし待たされたのが、なんともむなしく感じられました。線路に並行しての道路わきの、商店や工場、民家などの空き地に、かたずけられた被災家具などがあちこちに置かれていました。
 加川さんは、広島駅裏の鉄道病院から、手紙をくださいました。読み返したとき、さすが短歌の選者だと感じ入りました。その文字からも、加川さんの状況や思いがすべて感じ取れる心にしみる手紙でした。
 縦にも横にも大きな老健施設に入居されておられるのは、ネットで検索しておきましたが、内部の立派さにも驚きました。加川さんは3階なので、裏の三篠川が氾濫するようなことがあっても大丈夫だで、亀山の家よりも安心だと思いました。
 加川さんは、ネットなどとのお付き合いも私以上に上手で、病院にいながらにして私のブログもバレバレなのには驚きました。こうなると、みどりさんのこともよくご存じで、みどりさんからたくさんの本を頂いて、私がそれによって、今まで触れることのなかった分野にも羽を伸ばしてよたよた飛び上がろうとしていることも周知かもしれません。
 昨日は加川さんと会えた喜びで心うるうるでした。
 このたび漱石を読んだことについては、自分でも1年間体調を崩すほどに古文書にのめりこんだことが影響したせいか、今まで感じたことのない、文章への手触りのようなものに少しふれたような気持ちがしました。
 このような副産物があろうとは思いのほかでした。
2018/07/16 16:01  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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深山あかね様
 長いコメントありがとうございました。
加川様は老健センターで療養なのですね。お会いしたことはありませんが、あかね様が先生とお呼びし古文書などを学ぶ方ですから、私まで親しみを感じます。
最近は俳句も短歌もマンネリで生まれてこないのですが、、そうした時は無理しないようにしております。あかね様は古文書に向き合って10数年でしょうか?日本史をはじめ、旧い書物等に触れることで、近代文学に継承された言葉や文字、考え方などにも当然のように行き着きますね。
私は40代から50代にかけて文学愛好家数人で読書会「つくしの会」の会員として毎月分野を問わず読書会を開いていました。今でも解散したとは思っていないのですが、会員が減り頓挫してしまいました。月に1、2回で開館の使用が出来る時に限られていたのですが、今思うと良い経験でした。そこでは児童書も読むことも有り、集まる人の持ち寄りでの意外性も味わいました。
 幸田露伴の文体の難しさなどに触れた後、幸田あやの一連の小説に出会った折は、父親露伴の折り目正しい言葉使いを身を持って学んだ幸田あやさんが、とても好きになりました。当時は私もあのような言葉を駆使して、ものが書けるようになりたい・・・と思ったものでした。学んでいる時には気づかなかったことなどに、後の時と年月の経過から、目からうろこが落ちるように、ハッと悟る物事があるという感覚や頭脳のあり方には、あかね様の悟りにも似た想いが重なりました。
 漱石の文章の綴りには格調があると思います。古文の中での言い回しや表現は、たぶん豊かで膨大で、現在のなんでも「短略」する言葉の氾濫とは大違いなのだと思います。遠い時代の書物の中に脈々とあふれる精神に触れた学びの時は、あかね様の生涯にとりましても、大切な時代として後々まで刻み込まれることと思います。
 加川先生のご快復を念じ、傍らあかね様のご健康をも願うものです。考える事の何万もありながら、さしたる事も書けず済みません。
いつもながらコメントに感謝しております。
2018/07/16 17:09  | URL | みどり #-[ 編集]
- みどりさんへ -
- みどりさんへ -
古文書は、二人目の子供が生まれる直前に可部町に引っ越し、生まれて体調が落ち着いた頃、夫がいないとき災害が起きても二人の子供を連れて逃げられるように、過去この町であった災害について知りたいと思って、可部公民館の古文書の会に行ってみたのが始まりです。
 会員の方々は総べて年寄りでした。下の子が4歳になったとき短期大学入学を思いついて止めました。
数年前、古文書を読んでいただきたいと思うことがあって、古文書の会に連絡を取ってお願いすると、いちばん読める人として加川さんを紹介されたことがあったのです。
 以後、ハーンの会に入って、ハーンとおなじ熊本の第五高等中学校に勤務する会津藩の秋月胤永の扇の文字を読んでいただいた事も有ったような気もしています。
 そんなつながりも有って、昨年4月から加川さんに古文書を習い始めたのです。だんだんのめり込むようになって、今年になって、自分が本当に古文書の解読が好きなのだなと気づいたのと、古文書は年を取って始める人が多いのですが、若いとき、少し触れていたことが、覚えるということがすこし違うのではないかと思っているところです。
 幸田露伴については、今読んでいる久木綾子著『見残しの塔』を読み始める時、彼の『五重塔』を読んで、若い頃建築に拘わる人にあこがれたことを思い出し、どんな話だったか調べているとき、このブログ記事に書いたハーンの「ある保守主義者」という作品のモデルになった雨森信成と一緒にキリスト教の布教活動をしていた植村正久に勧められ、幸田露伴の父親を初め長男の兄など家族は全員入信したのに、露伴は入信しなかったことを知り、若いとき読んだ頃より全く別の一面を知ったところでした。
 みどりさんのコメントで幸田露伴の話が出てびっくりしたところです。
2018/07/18 15:45  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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