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『風の十字路』
2018/07/31(Tue)
 遠藤周作著 『風の十字路』 を読みました。
 遠藤周作は、幼少時代を満州で過ごしました。また、1950年にフランスのリヨンに留学しました。以後、小説の取材旅行などで、何度もヨーロッパを中心にいろんなところを旅していて、ここではそのことが中心に書かれています。
 いわゆる名所旧跡を訪ねたというより、自分がこだわっているところを中心に旅をしたと述べています。
 先に読んだ『老いてこそ遊べ』は、自分が死をも考えるような大病を何度か患い、そのことで得たことについて書かれていました。ここでは、訪ねた地方ごとにそこで感じて得たことを12章にわたって述べていますが、やはり、ヨーロッパと長崎への旅が彼の主要テーマだったのではないかと思わされます。
 ヨーロッパでは、自分が終戦後初の日本からの留学生だったことに端を発したこだわりがありました。そのことから、日本で最初にヨーロッパに留学した人のことを調査されたようで、
 ≪一番最初の留学生は切支丹時代で、名前は分からないけれども、洗礼名がベルナルドという男であることが分かってきました。日本最初の宣教師だったフランシスコ・ザビエルが、この鹿児島県生まれの青年にヨーロッパの文化を見せたいと思って、ゴアまで送って、ゴアでインドの青年と一緒にヨーロッパへ行かせたのが最初です。≫
とあります。
 彼は、ローマの今でいうグレゴリオ大学で勉強をし、病気のため、ポルトガルに戻ってそこで亡くなりました。死因は多分マラリアではなかったかと書かれています。
 なんといってもポルトガルやスペインの宣教師が日本に最初に来て、日本のことをいろいろ紹介したことについてはルイス・フロイスの『日本史』やジョアン・ロードリゲスの『日本協会史』などがあり、ここでは翻訳されたものは半数くらいで、まだ未公開のものがあるといいます。私はこれらの内容をずっとあと、おおくは井上ひさしの本でかなり詳しく読んだ気がしています。そして、つい最近は南方熊楠の書簡集の中でこれらの情報を興味深く読むことができました。
 敗戦後最初に留学した遠藤周作は、それなりにいろんな思いを抱いて海を渡ったことでしょう。しかし帰国以後、何度も留学先を尋ねたくなるほど、愛情深く大切に迎えられたことをいろんなところで述べています。また彼がのち小説家になって、それがいろんな国の言葉に翻訳されて世界中で有名になったことを自分の事のように誇りに思ってくれていて取材協力にもかかわってくれたりすることもうれしいことでした。
 いちばん心に残ったのは、
 ≪もしヨーロッパを本当に知ろうと思うなら、まずイスラエルへ行って、その次にギリシャへ行って、それからローマへ行って、その後パリに入るのが一番良いコースだと私は思っています。そうすれば、最終的にはパリで、イスラエル、ギリシャ、ローマの三つの要素がどういうふうに集約されて残っているかということが具体的な形でわかってくるからです。≫と、自分なりのこだわりから編み出した解答のみつけかたを提示できているところだと思いました。


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