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『生きる勇気が湧いてくる本』
2018/08/05(Sun)
 遠藤周作著 『生きる勇気が湧いてくる本』 を読みました。
 途中『沈黙』を読んで、途切れたのですが、この作品は、それまでの彼の作品集38冊の中から、選ばれたアフォリズム(箴言)が次々とあり、何度も読んだことのある箴言に出合うので、親しく気楽に読めるものでした。

 『沈黙』のところのブログ記事でも記したように、この作品が編集され、タイピングされるあいだ、遠藤周作は入院していて、退院祝いをしようなどと話し合っているうち様態が急変、入院生活は引き伸ばされ、あげく亡くなってしまいました。

 『生きる勇気が湧いてくる本』最後の作品には
 ≪・・・・。毅然として死ねない人よ。それでいいではありませんか。人間をこえた大いなる天、大いなる命は毅然として死ななくて  もそんなことは問題にしないのだ。
 私の友人で司祭である井上洋治神父は、
 裏をみせ 表をみせて 散る黄葉
 という句が好きである。
 神 ― 大いなるものは表だけでなく、我々の裏の裏までも御承知なのである。≫
 というところで終わる箴言が引いてあります。

 遠藤周作のその人や作品をよく知る編集者が、この箴言を引いていることで、『沈黙』のクライマックスの
 ≪その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭に向かって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。 踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。こうして司祭が踏み絵に足をかけたとき、朝が来た。鶏が遠くで泣いた。≫
 という部分と符号をするし、彼が、キリスト教にずっと感じていた、合わない洋服を着せられて違和感を感じていて、それを何とか自分の身の丈に合うものにしたいと、カトリックの本場に留学し、ぎゃくに違和感や距離感を感じるようになっていたのが、2年余りの入院生活の中で、何度も神に問い続ける苦しみの中で得ることのできた神の声とも符合してくるのです。

他にも彼の思いの詰まった箴言も多々ありました。その中から、一つ

 ≪私がキリスト教の洗礼を受けたということは、自分で選んだのではありません。いわば、母親から無理やり吊るしの洋服を買わされて、それを着たようなものです。(略)が、そういう動機はどうでもいいことで、そのあと、自分が受けたものをどう持続するかということが信仰だろう、というふうに考えるようになりました。≫
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