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『イエスの生涯』
2018/08/14(Tue)
 遠藤周作著 『イエスの生涯』 を読みました。
 ≪・・・・。もちろん私はこの「イエスの生涯」の俯瞰によってイエス自身を捉えられたとはつゆ思ってはいない。我々は自分の人生を投影してこの人を考えるからである。少なくともこの人の生涯には我々の人生を投影してなお摑みがたい神秘と謎があるのだ。私もまた生涯のいつの日か自分の人生の蓄積でふたたび「イエスの生涯」を書きたいと思う。そしてそれを書き終えた後も、更に「イエスの生涯」にあらたに筆をとる気持ちを失わないであろう。≫
でこの作品は終わります。

 『薔薇の館』は、いつものように、ぼーっとして読んでいて、とうとうまた読み返しました。
 この作品もやはり読み返すだろうと思いながら読んだのですが、最後のこの文章に出合って、ああ、これはいま読み返さなくても、私もまた生涯のいつの日か読み返したいと思うかもしれないと思ったのでした。

 私たちは、仏教については、ぶったが生まれた時代背景とか、彼の教えのその時代への意味などについて、いろんな本で触れていて、なにかしら仏教について自分なりのイメージを抱いているように思います。
 キリスト教については、復活されたイエスキリストであるとか、救いたもうイエスキリストなどという言葉から知っていったために、それを敬虔に信仰されている人にとっては大切でなものなので、私たちもその敬虔な信仰に対して敬意を払うけれども、自分にはよくわからないものでした。
 しかし、この作品を、西暦紀元28年1月ころに端を発した、ガリラヤという、小国ユダヤの更に小さなパレスチナの田舎に育った30歳くらいの大工だった男性(イエスキリスト)の短い生涯を歴史小説として読んだのは初めてでした。
 是を読んでおくことは、少なくとも、敬虔な信仰に対して敬意を払うなどと言ってるものとしては、てとても大切なことであったと、イエスキリストについての話を物語的にとらえるばかりで、その理解がなかったことへの無念を思いました。

遠藤周作は、この男性について書かれたものが種々あるため、それらを読み合わせながらも、できるだけ不合理のない部分を取り入れて描くよう試みています。
そして、様々に描かれたこの男性を取り巻く出来事については、事実よりも真実をつかもうとの姿勢を貫くことを信条にしていることを何度か述べ、、彼の見つめたものが、信仰の対象としての彼の価値を見出そうとしています。
 信仰の対象としての彼の価値とは、「人間の魂が欲した真実の世界」と述べています。

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