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『合志義塾 明治39年塾生のノート抄』
2018/09/26(Wed)
 監修 文学博士 中村青史 向井ゆき子編集 『合志義塾 明治39年塾生のノート抄』を読みました。
 発行者 向井敬二 2017年11月1日発行で、定価税別5000円です。

 この本は、明治39年、渡邊辰蔵氏が13歳のときに合志義塾で学ばれたときのノートを、その娘の向井ゆき子さんが、編集されたものです。発行者の向井敬二氏は、ゆき子さんの息子さんではないかと思われます。この本が入手できたのは、広島ラフカディオ・ハーンの会で、回覧された 『石仏 くまもとハーン通信 №25』 熊本地震復興記念号の、向井ゆき子さんの随筆によってこの本のことを知り、向井ゆき子さんにお願いして、送っていただいたことによるものです。
 いっしょに、2017年12月1日合志市発行の『「カタルパの樹」シンポジウム 記録報告書』と、2018年1月15日合志市発行の『「カタルパの樹」と合志義塾展 図録』も送ってくださいました。

 この本の体裁をざっと見た後、さきに、合志市発行の2冊子を隅から隅まで読ませていただきました。それによって、合志市では合志義塾のことが、2014年、協力NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト、発行:合志市・合志市教育委員会で 『カタルパの樹―合志義塾ものがたり―』 というマンガで出版されたことを知りました。さらに同年、テレビ熊本がドキュメンタリードラマ 「合志義塾カタルパの樹がつなぐ明日」 を放映して、市民の意識が、合志義塾への記憶を呼び戻し、祖先に対する誇りを受け継ぐ熱意に燃えていたやさき、このノートが発見されたとあって、その喜びがこの度の震度7の激震のさなか、向井さんは勿論のこと、市民の一条の光となったことを思わずにはいられませんでした。

 ノート『歴史科』のなかに、
 ≪家康は天下一統したれば、文学を以て国を治めんと欲し、藤原粛林信勝を招き、伏見に学校を開き、和漢の古書を集め、文学の振興に尽力せり。当時学者とも云ふべき人は加藤清正・浅野長政あり。其後・・・・≫とあります。家康が、文学を以て国を治めんと欲したということが意外でしたし、当時学者というべき人に加藤清正・浅野長政の名をあげてあることも意外でした。しかし、江戸時代を考えていくと、あの戦国の世に引き続いた時代とも思えないほどに文化が花開いたことを思うと頷けてきます。また、加藤清正については、この8月に遠藤周作の『宿敵』上下を読んだばかりで、かなり記憶に新しく、イメージとしては、戦に強く、城つくりの名人ということですが、教育熱心な母親に育てられていることや、今に役立っている、領民の生活基盤を整える事業をよくしたことを考えると、それも頷けます。それにしてもこのノートから、少年にしてその業績も間近にあり、古くから敬い親しまれてきた近しい人の名を聞いて、勉学に励む気持ちをいっそう高揚させたことも想像できてきます。
歴史が、物語的に教えられている感じは、私たちへとつづく歴史として、血の通った授業が想起され、昔からの言い伝えを聞いているような懐かしい気持ちで読むことができました。

 『修身科』では、当時の状況がよく表れている第22課の大日本帝国・第23課の忠君愛国・第24課・25課の国民の務などを興味深く読みました。

 『数学』では、まず、最初の分数に整数を乗ずる法から驚きました。私たちはこのとき分子に整数を掛けますが、ここでは、一方分母を整数で割るという方法も教授されています。双方を教える方が数学に対する理解が深まることがわかります。全く意外でした。 やはり偶然、この8月に遠藤寛子著『算法少女』を読んで、合志市に近い久留米藩の算法に熱心な藩主の話を知ったばかりでしたので、むべなるかなの思いでした。

 解読部分の※や?をみると、なんとか読めないかと、獺祭のごとく辞書を何冊も広げての奮闘が始まったりして、すべて読めてはいませんが、さいごの、向井ゆき子さんの「編集を終えて」を読み、また、中村青史氏の「解題」、渡辺直哉氏の「跋文」を読み、このノートの、平成28年4月16日の熊本地震からの数奇な運命をより具体的に辿ることができ、様々の方々の協力と理解があっての、向井ゆき子さんの解読の努力のたまものであることに改めて深い感慨に涙して、合志市の重要な一級資料を向井ゆき子さんの好意によって手にすることができたことを夫婦で感謝し、喜び合いました。



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コメント
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2018/09/28 23:02  | | #[ 編集]
- コメントありがとうございました。 -
コメントありがとうございました。
※については、結局解読できませんでした。
今ではどこだったか思い出せないので、正確かどうか不安ですが、?が、唖ではないか、また、青木昆陽とお父様が書かれておられるのに、青木木昆陽とどこかにあった気がして、つい※にも挑戦したのです。ところが、2つくらい挑戦して読めず、ふと、自分が解読するときも、その文書の、書体や文体に慣れてこなければ読めないので、全体を終わりまで何度も読み返すうち※が少しずつ減っていくことを思い出し、また、ゆき子さんが、「だんだんお父様の文字に慣れてきて、」というようなことを書かれていたことを思い出し、やむなく断念しました。
書体は、長く書いているとだんだん崩れてくるのが普通ですが、最後まで丁寧に書かれています。文体は教授者それぞれによってもちがうという解読のハンデ―があります。さっさと断念しなければならなかっただけに、ゆき子さんが余震の中、枕元に保管し、お父様の筆先を追って、一文字ずつ拾い上げながら解読された1年3か月の尊い作業に思いを馳せずにはおれません。
じつは昨日区役所の地域おこし課に3冊を持参してお話を致しました。先日話した人ではなく、もっと前にお酒の席で話しておいた人でした。
帰って、感想を夫に話すと、役人の企画力とその推進力、そして発信力について思うところを語ってくれます。話を聞きながら、不断にその努力をしていれば、激震災害のさなかにあっても、天からの啓示の如く、それにまつわる一級資料が出現し、それを一級資料たらしめる努力をする市民が現れるというこの奇跡を実感したのでした。
久留米藩については、遠藤周作の本を図書館で借りる時、彼の本は総べて借りることにして借りてきた本の中に間違えて、入っていたのが遠藤何某氏の『算法和算』の本でした。偶然ですが童門冬二の本で黒田如水と長政について書かれた本も今年になって読んでいました。鍋島藩については、開国したときには発電所も作っていたという日本一近代化が進んでいた藩だと思わされた本を読んだことがあります。そのために、日本国内の中でさらに鎖国をしていたといった内容の本でした。ですから、お父様の鍋島には!!!でした。

2018/09/29 11:24  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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2018/09/29 14:39  | | #[ 編集]
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2018/09/29 14:41  | | #[ 編集]
-  -
 連絡ありがとうございました。
 了解です。
2018/09/29 15:50  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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