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『生物と無生物のあいだ』 
2018/09/29(Sat)
 福岡伸一著 『生物と無生物のあいだ』を読みました。
 講談社より、2007年5月第1刷発行で、定価740円+税です。

 1890年ロシアのディミトリ・イワノフスキーがウイルスを発見したといいます。
 ウイルスは、単細胞生物よりずっと小さく、これまでの病原体とは異なって、非常に整った風貌をしていたといいます。それまでの病原体や細胞一般は、ウエットで柔らかな、大まかな形はあるけれど、それぞれが微妙に異なる、脆弱な球体として捉えられるものですが、ウイルスは違っていたといいます。あるウイルスは正二十面体の如き多角立方体、あるウイルスは繭状のユニットがらせん状に積み重なった構造体、またあるものは無人火星探査機のようなメカニカルな構造で、しかも、それぞれ同じ種類のウイルスはまったく同じ形をしていて、そこには大小や個性といった偏差がないのだそうです。
 そして、ウイルスは、栄養を摂取することがなく、呼吸もせず、老廃物を排泄することもない。つまり、一切の代謝を行っていないというのです。
 しかしウイルスは自らを増やす。自己複製能力を持っているというのです。ウイルスは、単独では何もできないけれども、細胞に寄生することによってのみ複製するというのです。
 今まで、「生物とは何か」と言えば、必ず、自己複製するもののことを言っていました。けれども、こうなると、細胞に寄生することによってのみ自己複製するウイルスとはいったい生物なのか、その風貌の如く無生物なのかということになります。
 生物の生物たるゆえんの定義が間に合わなくなりそうです。このタイトルにつけられた、「生物と無生物のあいだ」というのはウイルスのことだったようです。
 ウイルスは、そのメカニカルな粒子を、宿主とする細胞の表面に付着させる。そして、その接着点から、細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。そのDNAには、ウイルスを構築するのに必要な情報が書き込まれているのに、宿主は何も知らずに、その外来のDNA情報を自分の一部だと勘違いしてせっせとウイルスの部材を作り出して、その複製を行うのだというのです。そうして新たに作り出されたウイルスは間もなく細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出すというのです。
 この福岡伸一氏の著書の中で初めてヒーローとして登場したウイルスは、ウイルスというものの、人体に及ぼす害についてではなく、生物とは何かという定義を揺るがす存在として登場してきました。
 このように、彼の著書では、生命科学の事柄が、いろんな側面で登場してきます。しかし、私の読解力では、いろいろなことが、読んでも読んでもなかなか確信が持てないのですが、総じて、分子生物学そのものが、未知の世界で、何一つ確信の持てるものがないというのが正直なことと受け止めていいのではないかと思われます。このような思いを抱けたのは、福岡伸一氏の生命科学に対する謙虚さによるところが多いのですが、このことが大切ということも学ばせていただきました。
 福岡伸一氏の著書を、著作年のふるい順に読んできたのですが、6冊目のこの本は、最初に読んだ『動的平衡』より古い本でした。彼の著書にふれるまでは、科学は日進月歩という思いでしたが、じつは、謎が謎を生んでいくという、ちょうど私の読書のように、知らないことがあるということをだんだん知っていくということに似ているということを垣間見た数日間となりました。
 

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コメント
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2018/10/02 12:20  | | #[ 編集]
- コメントありがとうございました。 -
?は、47ページの 第十九課 慈善 4行目盲啞学校の処です。
 “広島の友人”とはもったいなく、有難いことです。
 ハーンの会の田中先生に言わせると、消費税分は払わない!送料はサービスしてもらう!とんでもないねあはは!と笑われてしまって、小さい私がさらに小さくなっていたところでした。
『石仏』で向井さんのエッセイを読んだとき、ずいぶん前に知った ≪書きおくも片身になれや筆の跡幾としすぎても墨やくちせず≫という、日記に書かれていたという辞世の歌がよみがえり、感慨深く思ったものでした。
 向井さんの本の「編集を終えて」の最後の歌の横にそっと薄くこの歌を併記させていただきました。この歌を併記できたことで、厚かましくも我が家の本は向井さんと私の合作になっています。
 友人ということで許してください。
 田中先生には恥ずかしいので内緒にしておきます。
 水俣市にある、県内最古の町屋建築である徳富蘇峰や蘆花の生家や、水俣市役所駐車場横の蘇峰記念館はその日は、他に訪れる人もなくゆっくり説明を聞き見学させていただきましたが、熊本市の記念館は訪ねていないので、今度行くことがあったらもちろん合作でない本に会いにゆきます。
 読書については、何も理解できないのに、(でもこの度のノーベル賞の内容については、記者会見を聞いただけで、偶然、同じ分子生物学の福岡博士の本を6冊も読んだ直後だったので何について受賞したのかすぐ理解できました。これが1週間後だと自信がありませんが・・・)これが終生変わらぬ私の趣味だと思われます。子どもの頃、散髪屋に行くにも髪を切るために行ったことはなくそこにある雑誌を読むためで、仕方なく髪を切っていただいていたのです。でも、文を書くとか、歌を詠むとかが全くできないので歌が詠める向井さんが正直うらやましいです。
2018/10/02 16:29  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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2018/10/04 12:23  | | #[ 編集]
- 向井ゆき子さんへ -
 本の出版などしたことのない私でも、その時のあわただしい気持ちが伝わりより愛着を感じます。「完全主義でも間違いがある」安心しました。私の乱読・乱文などは恥ずかしい限りです。ま、気にしていると生きていけないというのが私の限界人生です。
 渡辺直哉さんの状況、それが回復されて、幸いしたと思えるのはよかったです。生前のお父様のエピソードを読者に伝えてくださっている唯一の方ですから、ゆき子さんにとっても失いたくない大切な方ですものね。《書きおくも片身になれや~》は、広島県現北広島町有田の武一(西本屋武一郎・森脇武一郎)という人の歌です。
金谷俊則著 『武一騒動』 に書かれていました。本の帯の文章≪明治4年8月、新政府の命による旧藩士・浅野長訓(ながみち)の上京を農民たちが阻止したことに端を発する「武一騒動」。この旧広島藩全域にわたった大一揆の首謀者とされ、鎮圧後梟首刑される「武一」こと森脇武一郎の姿と、いまだ不明な点の多い事件の全容を検証する。≫ 平成30年6月24日の中国新聞、特集記事抜粋 ≪武一は心学を学び、地元で塾を開いていた。藩への上申書で農民の生活向上策を求め、庄屋とも交わる知的で穏健な人物である。後半の暴動には加わってはいない。≫ というのがこの歌を詠んだ人の、私の手っ取り早い説明です。武一には二人の子どもがいましたが、息子と娘婿は、西南戦争で亡くなっており、その孫も原爆で亡くなっていたりします。武一騒動は、広島藩の維新前後の大きな出来事として、いろんな書物がありますが、この歌を見たのは金谷俊則氏の書かれた本だけでした。
 ゆき子さんの≪一字一字父の毛筆文字拾ひパソコンキー打つ会話するごと≫という歌が、まるで武一の歌を知っていたかに思えたり、時代の変遷を感じられるのが何ともたまりません。
2018/10/04 19:41  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
- 承認待ちコメント -
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2018/10/05 07:57  | | #[ 編集]
-  -
向井ゆき子さんへ 追記
明治の盲唖学校で江戸時代の盲について、広島藩の『理勢志』(古文書)の記述を思い出して、ネット検索シテみました。
古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが、『平家物語』を語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座(組合)として機能した。・・・・江戸時代に入ると当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。・・・・結果としてこのような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。また座頭相撲など見せ物に就く者たちもいたり、元禄頃から官位昇格費用の取得を容易にするために高利の金貸しが公認されたので、悪辣な金融業者となる者もいた。とありました。『理勢志』 では、座頭が来ると、上からの強制出費を恐れて村人が敬遠したことが記されていました。(国立国会図書館の『理勢志』の解読は途中までで私と一緒で、間違いも多いいです。)

2018/10/05 07:59  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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2018/10/05 23:07  | | #[ 編集]
- ゆき子さんへ -
このコメントは読み流しにして、お孫さんの子守、それに実作指導頑張ってください。《書きおくも片身になれや~》は、ゆき子さんのエッセイが私の記憶を呼び戻し、本をめくって確認しての歌です。
いま思うと、金谷俊則著 『武一騒動』もそうですが、武一騒動に関する本はすべて、入手するのにいろいろドラマがありました。もう一冊の 吉川光著 『義人の最後 明治維新と広島藩の騒擾』は著者のお宅を夫婦で訪ねました。空き家になっていて、ちょうど庭に出ておられた隣の方が息子さんが広島市立大学の先生だと教えてくださいました。訪ねていくと、もうこの本の在庫がないのでと、後日、一冊分コピーして送ってくださいました。この本も優れものです。ここには、武一が監水という号で詠んだという歌と、夫亡き後出家した、武一の妻キクノの歌がありました。紹介させていただきます。
霧晴るる峰の紅葉のあらわれて世に此君のかくれなきかな  監水
ふりかかる世の白雪を払い得で衣替えするすみ染めの袖  キクエ
これはゆき子さんの忙中を知らせる短歌実作指導のコメントから、思いついて読み返した、吉川元先生の送ってくださった資料を、改めて読み返すなかにあった歌です。
2018/10/06 14:51  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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