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『千の花びら』 (1)
2018/10/04(Thu)
  井野口慧子著 『千の花びら』 を読みました。
 書肆山田より、2018年5月第1刷で6月第2刷発行で、定価2600円+税の詩集です。
 この詩集は著者の井野口慧子さんより、謹呈として送られて参ったものです。

 私のような者にまで送ってくださったことを心から感謝しています。
 送っていただいてすぐに、一応、読ませていただいたのですが、詩心のない私には、よく理解できないことがわかりました。
 先月末、福岡伸一の本を読んで、疲れ果て、夫に、「今日から本を読むのはやめることにした。」と、自分の気持ちを表明することで、すこし気持ちにゆとりをもって生活をし始めました。
 それで。いつもの2時間と少しの裏山登山と、テレビを見ながらの、樹木希林風の縫い物主体で数日過ごしました。その合間に、もう一度この詩集を読み直しました。そして、昨夜、3度目、最初の「大水青」を読み返しました。

 私は、この本をしばらく私のテキストにすることにしました。
 読書はやめて、のんびりの勉強です。
そう思ったのは、最初の「大水青」という詩にある、式子内親王の
≪ほととぎすそのかみ山のたびまくら ほのかたらひし空ぞ忘れぬ≫
について調べ始めたときでした。
まずは、ブログでお馴染みの志村建世さんから送っていただいてこの数年親しんでいる野ばら社の『百人一首』で、式子内親王について調べます。
≪玉の緒よ絶えなば絶えね永らへば 忍ぶることのよわりもぞする≫
ここでは、【私の命よ絶えるものならば絶えてほしい。もしこのまま長らえていると、人目を忍ぶ心が弱くなって浮名を立てられ、悲しい結末を迎えるようなことになるであろう。】と約してありました。彼女は賀茂神社の斎院になっていたこともあり、藤原定家の恋人とも言われていたというのです。
この歌はしっかり暗記していた時期もあったように思うのですが、解釈については忘れてしまったのか、考えたこともなかったのか、このたび読んでびっくり。彼女が置かれた立場に依っての、自分の気持ちを、歌の技法を駆使して作ったこんなに素敵な作品を理解しようとしなかったことに愕然としました。
ここではそのほか、式子内親王の4つの歌も紹介されていました。

また、井野口慧子さんが引用されている歌の【ほととぎすよ。その昔、神の館に旅寝したとき、ほのかに語りかけてきたほととぎすよ。あの空の景色を私は今も忘れない。】という意訳や、この歌の技法の素晴らしさについても詳しくわかってきます。

 「大水青」は、チョウ目ヤママユガ科、言われてみればそうでした。
 夜が始まったばかりの山裾。林道脇の電柱に点灯したばかりの蛍光灯に引き寄せられている、大きな緑がかった水色のなんともいえず美しい蝶に気づいた時でしたが、帰って夫に話すと、「山繭の蛾だよ」と教えられ調べたのでした。「米粒のような紋」については、記憶がなく、このたび改めてネットの図鑑で調べ確認できたのでした。また天敵に食虫の鳥類もいることもわかりました。
 また、この大水青の幼虫かどうかわからないのですが、むかし、職場で、「山繭の幼虫!」と言って持ってきた子供がいて、大きな工作机の上に置いて、少し離れたあと、行ってみると、この幼虫が口を左右に振りながら、光る糸を机にくっつけているのでした。こうやって繭を作るのかと思って見ていて、子どもが持ち帰った後、机を拭き掃除すると、その糸が取れず、いつまでも光っていたことを思い出しました。

 こんなことを少しずつ調べたり、思い出したりして、改めて、井野口慧子氏の作品を読み返してみると、なんだかその世界が見えてくるようです。井野口慧子さんがなんだか、そうよ、そうだったのよと、夢見るような顔で話してくださるようでした。
 だから、こんな私の調べたことや思い出したことなど書き記さないで、直に、井野口慧子さんの詩を書いたらよかったのです。
 でも、私が少しでもこの詩の心に触れるにはこれだけの勉強が必要だったのです。

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