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 『千の花びら』 (3)
2018/10/13(Sat)
 病院通いと裏山登りが続いています。
井野口慧子著 『千の花びら』 の「燕石」の、身だしなみということについて考える時間が十分あります。なにかしら豊かな時間を過ごしているような気分です。

 待ち時間では、相変わらず『良寛』を読んでいます。どうして良寛を読むと、「燕石」のなかの身だしなみについて考えてしまうのでしょうか。

 良寛の出家への思いと、それからの人生、後年をたどっていくと、「燕石」のなかの、
 ≪「重苦しい世情に浸らなくとも いつでも その真ん中に私たちはいます その重圧に負けない あっけらかんとした みだしなみも必要だと 痛感しております」≫
 そのものの人生ではなかったかと思えてくるのです。

 出家については、若い良寛が互いに後生までと契り交わした女のことに深く思いつめたあげく、心定めたのであろうか、「みづから髪剃りて」一夜を明かし、家族の者が驚き歎き、問いかけるのにこまやかな答もせず、ただ笑って「自分の心まかせの生き方をする、家督は弟にこそ」といいすてて、寝所に入り、まもなく身支度はかねて用意していたように、ねずみ色の衣を着、鉢の子の手をとり、隣家より誦経しながら家を出てゆきます。途中、衣の袖をとってすがり泣くかの女性には「むつかしき世の、かからんことすらさうさうしうおもひさりとて、すがたをさへかへまほしく、としごろねんじわたりて、いまこそとげたれ。」と別れ去っていきました。 (女性も世の無常を感じてついに髪を下してしまったとのこと。)

 良寛を晩年擁護した木村元右衛門は熱心な真宗信者だったということです。歴代神仏・祖霊を崇める念あつく、良寛を深く敬愛したといいます。良寛の生れた橘屋は代々石井神社の祠官であり、菩提寺は真言宗円明院であり、彼の修行は曹洞宗です。彼には何宗何派の偏執など毛頭なく、般若心経も、阿弥陀経も、正法眼蔵も、さらに法華経も大祓詞も、論語も源氏も、すべて人間養素の糧として、等しく尊い古典であったとあるのです。
 ≪・・・門閥相承のやかましい封建社会にあって、超宗派の宗教をめざし、学問芸術の普遍性を身につけるということは、どれほど高い精神を必要としたことであろうか。≫
 と述べられています。
 このような身だしなみ。これが今に望まれ続ける身だしなみではないかと、井野口慧子著 『千の花びら』 の詩、「燕石」を通して、良寛が、これまでとは違った風采として見えてくるのでした。

 ものを持つことのめんどくさい私も、良寛さんを読むたび、ゆったりした気分になれます。
 ずっとむかし、誰かが、
 ????や裏も表も無き手前ただまぜくって呑む茶のうまさよ(?は思い出せない)
という歌を教えてくれたことがあります。我が家の作法もこの通りで、この作法で昨年末には、偶然にも茶室「百草亭」で松江の市長さんともお茶を頂き、新聞社の方に写真撮影もしていただいたのでした。

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