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『天空海闊 東湖と象山』
2019/05/06(Mon)
  高橋淡水著『天空海闊 東湖と象山』を読みました。
 下村書店より、大正11年(1922)3月第1刷、1926年3月第3刷で、定価壱円八十銭でだいたい文庫本と新書版のあいだの大きさの本です。
 夫がこの前、市内の古本屋で見つけて買っておいたものです。

 355ページの本ですが、34文字の10行ですからそれほど多い情報量ではありません。しかし、大正11年の文章ですから、古文書の解読原稿のような言い回しと漢字使いのため、見たことのない漢字や音で意味を連想します。さらに一人の人間が幾通りもの名前で登場するので一瞬なにのことやらと思います。そのため読み終わったときには古本故バラバラになりそうです。

 それにしても、さきに読んだ『神仏分離』で、標的にされた水戸藩の藤田東湖・会沢安・徳川斉昭のことですから、とても興味深くなります。
 読み進んでいくと、東湖がというより水戸藩がなぜこれほどまでに神仏分離を深刻に考えたかについては水戸学の基礎を作った水戸光圀にさかのぼることがわかります。光圀は彰考館を作って『大日本史』の編纂事業を起こしました。
 いがいなことに、水戸光圀も、徳川斉昭も東湖も熱心な仏教徒です。それに加えて、神国日本の基となる神を大切にすることは我が国にとっては必要不可欠なものとの考えが基礎にあります。双方を大切に思っています。

 しかし、『大日本史』の編纂という文化事業は、大変な費用と人材の育成を必要とします。そういった中で多くの義人が生まれますが、一方、武士の世に太平楽の世が続き、風紀は乱れ、讒言や賄賂などによる立身出世をたくらむ人が重臣になり、財政は衰えて、窮民は飢寒に泣くというありさまです。
 斉昭は藩主になった暁に、
 ≪これまでの弊政を一新するには先ず奸侫の重臣を淘汰し、奢侈の風を改めなければ、甘(うま)く往かぬ≫
 との決意をしますが、この、奢侈の風のなかに、僧侶の生活もありました。そのため庶民の寺院への負担も増すばかりです。仏教に熱心なだけに許せない状況でもあります。一方神社の禰宜は祈祷やお祓いはしますが、教義もなく修行もありません。そんな中で、神道は仏教に飲み込まれぎみで、僧侶が祈祷やお祓いをしてお金もうけをする始末です。その傾向が真言宗にとくに多かったのかおおくは真言宗のお寺が始末の対象になっています。
 おりから夷敵の脅威も迫ってきます。国防を幕府よりも、どの藩よりもより大切と考えるのも儒教中心の水戸学の特徴の一つです。東湖も、父の命で藩のため国のために落とす命ならの覚悟は充分です。
 海岸への備えの大砲を作るのに、貧窮する庶民から税をとるよりは、僧侶の風紀を正すためにも、お寺のの鐘楼などを鋳直すことを考えるのは十分考えられることと思われるのでした。
 水戸藩のことに少しふれた本を読むことはこれまでにもあったことと思いますが、水戸藩の内情にこれほど触れた本は初めてで、とても興味深く読みました。
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