『友情 力あり』
2008/04/28(Mon)
城山三郎著 『友情 力あり』 を読む。

内容の予告もなく(殆どの本がそうだが)読み始めた。

昭和14年、日中戦争から2年後日米開戦の2年前という時節、6回目の「日米学生会議」に参加した日本人学生50人アメリカ人学生ほぼ同数についてのその後の友情に着目し、その時の「日米学生会議」がどのようなものであったかについてそれぞれの人の記録や談話によってつづられている。

昭和14年の日本の上流家庭の優秀な子弟の様子や、アメリカの様子が伝わってくる。

当時の日本とアメリカの格差を現すものとして「アメリカの広大さ、物の豊かさ、機械文明、ほとばしる活力、あふれる自由、日本の学生達は禁断の木の実を口にする」とある。そして「日本には何もないといっていい」と肩を落とす学生もいる。
一方で遊園地のジェット・コースターに載ったときの奈良という人の感想を
≪奈良はそこに<アメリカ的マゾヒズムの感覚>をみる。あるいは、<物質的享楽主義傾向>を。<機械による娯楽、機械による散歩、機械による家庭生活・・・・・。機械で生まれ機械にいぢくりまはされて死ぬ(アメリカの病院は機械で埋まっている)。即ちアメリカ文化発展の規律者は物質であり機械である><彼等は新しいもの、新しいものと標榜し乍ら何か感覚にアピールするものを求めている。新しい国をより新しくするものはこの進取性に他ならない>と記しているという。

この格差ある中で、双方の学生達は自由な討論を展開する。

そして、次年度「日米学生会議」にむけて、アメリカ人学生がもつ日本の満州などへの「野蛮的侵略行為」との思いを払拭させるべく、第一回以来の慣例どおりアメリカの学生を招き朝鮮・満州へ案内しようと計画を始める。

≪いまから思うと、あの時代、アメリカ人学生を満州へ案内すると言うのは、薮蛇どころか、危険な賭けの感じがあるが、当時は満州が満州族、漢族、蒙古族、朝鮮民族そして大和民族の「五族協和」の地であり、日本の主導によって、新しい「王道楽土」が作られていると一般には受け取られていた。≫
の記述を読むと、なんともびっくりする。

この「日米学生会議」については始めて聴く事柄でないような気がして考えてみると、白州次郎についての本を読んでいて、白州次郎がサンフランシスコ講和条約が締結されるとき吉田首相に同行し、宮沢喜一も同行していて好印象をもったという話の中にあったのではないかと思う。

この「日米学生会議」のメンバーがのち日米関係の中で政界や財界の重要なポストにいて友情をはぐくみながら国難にあたる部分に繋がっていく。

城山三郎の行くゴルフ場で見かける、大蔵大臣・宮沢喜一をメンバーの一人とする仲の良い四人組みの話である。

スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
<<『おせいさんの落語』 | メイン | 『慶州ナザレ園』>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/123-d7d85705

| メイン |