『わがそでの記』
2008/08/08(Fri)
高山樗牛の『わがそでの記』を読む。

 今日は倉庫同然にしている空き家に、長く本箱にねかせてある本を運んだ。
 第二便を明日の朝運ぶことにしてその準備をしていてこの本を見つけた。
私の実家で見つけてもって帰ったものだった。
そうだ、其の頃A級戦犯に関する本を読んでいた。
たぶん占領軍が死刑囚になった人に、死刑執行まで死刑囚の宗教に合わせて誰か宗教家をつけることにして坊さんの募集をしたが応募が無くて、その役を当時東大の教授であった姉崎氏が引き受け、そのことに関する記事を新聞に連載していた件のところでなぜか当時の私はひどく感動して姉崎氏のほかのものも読んでみたいと思っていたところ偶然実家でこの本を見つけて持ち帰ったのだ。

標題の一文はこの姉崎正治編『文は人なり』の書物の中の一篇である。

明治44年12月31日発行となっている。この本は大正6年50版発行のものだ。

古い本だからもう誰も読みはしないだろうと分からない熟語には線を引くなどして辞書で引いた意味を書き付けている。マメに読んだあとが見受けられるがほとんど覚えていない。誤植を訂正しているところもあって思わず吹き出したりもした。


この書は姉崎正治が、高山樗牛の小文を集めて、分類して彼なりの考えで編集したものである。
姉崎氏の序編を読んでいてちょっと『わがそでの記』を読んでみようと言う気になったのである。

読んでいると60歳前の私には青臭くて・・・・というおもいだ。
だが、誰もが、青春のころには思い悩み書き記す一文でもある。
高山樗牛は夏目漱石などと国費留学することになっていてその洋行のための祝賀会から病気に倒れ短い生涯を終えたのである。いまの私にとって漱石ですら早い死であったと思うのに樗牛は30歳台で世を去っているのだ。

今一度
 ≪世をうきものとはたが言いそめし。想へば袖ふたつには包みかねしわがこころ、たうてや年をへし長きねざめの友となりぬ。
 はつ夏の月いと哀れなる夜半、われともなしに起き出でて、簾のつま引き上ぐれば、落つるは露か雨か。秋ならぬ風に桐ひとは散りぬ。
 里にては今はねなましものを、うとましの身の程や。・・・・・・・・≫
の一文に家事の合間の憩いを求めむ。

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