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『手向山武蔵顕彰碑』
2021/02/06(Sat)
 これは、A3の用紙3枚の資料です。
 このような資料の数々をどのように整理しようかと日々悩んでいるといえば初志貫徹になるのですが、疲れたなどと、日々テレビ三昧です。今迄録画したものをいま一度じっくり見ています。
 そのなかに、2016年ころの100分de名著『宮本武蔵の五輪書』がありました。吉川英治の『宮本武蔵』で宮本武蔵を堪能していたころのことと比べるともっと時代的な検証のうえに彼の人生が意味づけられたら興味深く見る人もいたのではないかとの思いもして物足りなく見ました。

 そのあと、この資料が古文書解読のための辞書などに交じってあるのに気づき、なぜ古文書のなかに入っていないで解読辞書などのなかにあるのかと不振を抱いてこのところ眺めていました。
 顕彰碑とはいえA3の用紙1枚にぎっしりの漢文による碑文です。
 宮本武蔵が1645年に亡くなり、その9年後の1654年に武蔵の養子である伊織が藩より拝領した手向山に熊本泰勝寺の春山和尚の撰文になるこの碑を建てたとのことです。

 2枚目の4分の3くらいまでは「宮本武蔵名品集成」による『泊神社棟札』の表と裏に書かれてあるものです。それにひきつづき3枚目いっぱいこのふたつの記述にある単語の注釈があります。調べて分からない単語についてはクエッションマークがあり、調べてわかった文字とわからなかった文字tがその通りなので、私としてはこの注釈には信頼をおきます。
 碑文の文字をこのように活字化してそこに使用されている言葉の注釈を読んでいると、これまでの私の読み方で、字面や文脈から勝手に解釈している古文書の解読におおいに反省をさせられます。
 この資料はこういった反省を促すための解読資料だということが分かってきます。

 この解読のための資料のなかで同じように反省したものに『武一騒動』のなかにあった資料もありました。武一騒動は広島藩の藩主が廃藩置県によって江戸に行くときに不安にかられた藩の人びとによって起こされた騒動で、地元の事でもありますし江戸時代も終わりのころの古文書でもありますので、けっこうこれも文脈にによって勝手な解釈をしていたかもしれません。しかし、例えば「川成」は洪水によって川になった田畑、「明知」は藩士などに知行されていない予定地などと、60項目ちかく丁寧に調べてあるのを読んでゆくうち、文中のなかでこれらを常に正確に理解していたかどうか不安になってきます。

 100分de名著『宮本武蔵の五輪書』では、武蔵へのイメージは後の人たちの想像によってずいぶんかけ離れていった部分があることが最近の古文書の発見によってわかってきたと説明されていましたが、この資料は亡くなって9年目のものですし、剣術での腕を語る元となることがらが箇条書き風に書かれてあるのでかなり真実に近い資料といえます。


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