FC2ブログ
後藤新平の記事を読む
2021/04/02(Fri)


 2021年3月14日(日)の中国新聞に掲載された後藤新平の記事を読みました。

 この記事は、3月27日(土)の「通史会」のあとⅯさんがくださったものです。

そのまえの3月13日(土)の「通史会」の時、後藤新平の話題が出たのですが、その翌日に中国新聞が大きく後藤新平を取り上げたその偶然に感激して切り取って持ってきてくださったのでした。

ひさしぶりに布団を干したりして片づけていて目にしたものです。勿論一度は読んでいたのですが、今日はゆっくり丁寧に読み返しました。

 

≪後藤は、日清戦争から帰還する兵士たちの検疫を行うため、1895(明治28)年、陸軍検疫部事務官長として陣頭指揮し、わずか2カ月の突貫工事でこの地に似島検疫所を開いた。

帰還兵たちはいったんすべて検疫所内の宿舎にとどまり、衣服や持ち物の消毒をし、経過観察した後、健康な兵士は広島港に上陸、罹患が疑われる者は「避病院」と呼ばれる隔離病棟で治療を受けた。≫

 

この記事を読むと、私たちは、後藤新平(1857年~1929年)が台湾総督府民政長官・満鉄初代総裁・逓信大臣・内務大臣・外務大臣などを歴任したことについてはうっすら承知しているのですが、この度のようなウィルスなどの伝染病によるパンデミック対応で世界を驚かした人としての認識にかけていたことを知るのでした。

 

新聞の切り抜きが実はもう一枚ありました。

これは、「通史会」が読み進めている『芸州新庄紀行』に出てくる「折敷畑(おしきばた)合戦」で毛利方の熊谷家来末田新右衛門によって討ち死にした陶方の大将宮川房長の居城岩国市美和町生見の高森城の記事で、これも紙面を広く使った記事の切り抜きで、ぜひ訪ねてみたいと思える記事でした。

 

 

スポンサーサイト



この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
<<『五箇山ぐらし』 | メイン | 『可部の歴史と文化』2>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/1421-da6a72f2

| メイン |