『「邪馬台国」はなかった』
2008/10/27(Mon)
古田武彦著 『「邪馬台国」はなかった』 解読された倭人伝の謎 を読む


 もともと私には邪馬台国について考えを持つほどの知識が無かった。
読んでいるうちに、そういえばそんなことをテレビで見たことがあるなとか、または、学校で先生に習ったことがあるなと思える程度のことである。
 いきなり、天下国家の論争である邪馬台国についてひとつの理論を拝読するのであるから時間のかかることこの上なかった。読むことへの時間でもあるが、いろいろと考える時間でもある。
 しかし、邪馬台国を知る上においていきなりこの著者である古田武彦氏の論を知ることは大変名誉なことであったようだ。何も知らずして真っ当らしき論に出会ったから。

 彼は、邪馬台国について記されている魏志倭人伝の選考から論をといている。
そして、日本の皇室図書寮に現存する紹熙本(1190年~94年にあたる紹熙年間に刊行された。『三国志』65巻の中魏志の第1~3巻を欠くだけで、他の62巻がある)を定本にしている。
そして、それらの記述において、誤りであるとか、誇張表現であるとか写し間違いであるとか言われていた部分についてひとつひとつ検証し、誤りであるとか、誇張表現であるとか写し間違いではなく、正確な記述であると論破し、正確に邪馬台国は『邪馬壹国』であり、博多であると解く。まったく異論を寄せ付けない説得力を持って読者に解説をしてくれる。どんな質問でもいいからして欲しいとも投げかける。
 このような本に出会うと、遠い昔のことであるので、読んだ後とてつもない想像が私たちの頭の中を駆け巡る。
 ながく日本の輸出製品として商品として樟脳があることを見てきた。日本以外には樟脳は無いのか?という疑問がわいてくる。神皇正統記の反対論者である楠正成は楠の既得権の持ち主であったと聞いたことがある。
 楠というものが、日本にしかなく、その木が虫に食われず真直ぐに腐らず巨木に成る。海洋民族である倭人が、その楠によって作られた船に乗ってアンデス山ろくやロッキー山ろくに出かけていく。コロンブスよりずっとずっと早くアメリカ大陸と行き来していた様を想像する。
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コメント
- 十三湖のばば -
こちらの古い記事に、「十三湖のばば」の読書記が出ているのに気がつきました。深い泥田の「腰切り田」は、干拓が完成する以前のことだったのでしょう。昭和37年のシジミ取りも、同じような作業でした。
 先日見てきた風景と重ねて、感無量でした。
2008/10/28 16:52  | URL | 志村建世 #-[ 編集]
-  -
つらい農作業の話が集約されているようで、十三湖の話は心に残りました。志村様が行かれると知ったとき、こういった人々の命を押しとどめた十三湖が平成の今日どの様な姿であるのか写真を心待ちにしていました。夕日の写真では、なぜか黙祷してしまいました。
2008/10/28 23:23  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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