「御文書」
2008/10/29(Wed)
『正信偈和讃』を読む

 仏壇の片付けをしていて何冊かの『正信偈和讃』のなかに古い『正信偈和讃』があった。       見るからに古いので捨てようとのけておいた一冊である。
印刷・発行は大正3年、その『正信偈和讃』のなかにこの「御文書」を見つけた。

 ≪それ女人の身は五障三従(ゴショウサムショウ)とて、男にまさりてかかる深き罪のあるなり。この故に一切の女人をば十方にまします諸仏もわがちからにては、女人を仏になしたまうことさらになし。然るに阿弥陀如来こそ女人をばわれ一人たすけんといふ大願をおこしてすくひたまふなり。このほとけをたのまずば女人の身の仏になるといふことのあるべからざるなり。これによりて、なにとこころをももちまたなにと阿弥陀ほとけをたのみまいらせて、ほとけになるべきぞなればなにのようもいらず。ただふたごころなく一向に阿弥陀仏ばかりをたのみまいれせて、後生たすけたまへと思ふ心ひとつにて、やすく仏になるべきなり。この心のつゆちりほども疑いなければかならずかならず極楽へ詣りてうつくしきほとけとはなるべきなり。さてこのうえに心得べきやうはときどき念仏を申して、かかるあさましき我等をやすくたすけまします阿弥陀如来のご恩の御うれしさありがたさを報ぜんために念仏もうすべきばかりなりとこころうべきものなり。あなかしこあなかしこ。》
 ≪それ女人の身は五障三従(ゴショウサムショウ)とて、男にまさりてかかる深き罪のあるなり。》にびっくりすると同時にこの時代のことであるからしてさもありなんという気もする。ほかの御文書やお経を読んでみても男でも二心無く阿弥陀仏に頼み参らせないととあるように思うのだが・・・・・。

 もうひとつ
 ≪そもそも当国攝州東成郡、生玉の庄内大阪という在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、・・・・・・・・≫
と、聖地めぐりをお勧めするような経もある。

 さすが、戦後生まれの私は生まれてこの方このような経は聞いた事がない。
 歌は世につれ世は歌につれなどというが、お経も世につれ世もお経につれと苦笑いするしかない教本であった。
古い本にはそれなりその時代の空気が残っているの感を持つ。

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