「平蜘蛛の釜」
2008/11/07(Fri)
早乙女 貢 の 『ばさらい奴』 の 「平蜘蛛の釜」 を読む。

 「平蜘蛛の釜」といえば松永弾正であるが、この話はその織田信長と松永弾正の攻防の前に、当時ペンクラブの会長をしていた作者が理事会の帰りに銀座でk氏に出会い、そこから20分ほどの山の手にある「平蜘蛛の釜」を秘蔵しているという屋敷を案内されて訪ね、この「平蜘蛛の釜」を見せていただくという話に端を発する。

 ≪「こだわるようだが」と、k氏は釜の音を聞きながら、「釜によって、この音も変わりますかね、銘物釜で沸かした湯と、駄釜で沸かした湯と、どうちがうか。早く沸くのか遅く沸くのか、早く沸くから、名器とはいえないでしょうし・・・・・・」亭主はさっきから無言で端然と座っていたが、
 「外人に茶の心が本質的にわからないというのは、その点でしょうね。ですが茶道具の良し悪しというのは結局、恣意的な評価でしょう、ただ、それが普遍性を持つと・・・・・・要するに、平蜘蛛の釜の価値は、松永弾正が大和一国にも替え難しとして、信長、秀吉らと戦ったというところから値打ちが倍加したわけでしょう。」≫

 松永弾正が天下を狙う戦国の世にあって、その天下よりも大切にしている名器をさらなる名器に自分の人生をなげうって仕立てあげたとでもいいたげな話である。
 戦国の世に手柄を立てた家来に、あるいは降参してきた武将に与えるべき国に限りがある。そこで、名器といわれる茶道具を与えることによって、それに替えざるを得なかった時代を人生をかけてひにくった「ばさらい奴」の話であった。

 作中に足利義輝の最後の場面を描いているので書き記しておく。

 ≪義輝は顔に薄く白粉をはたかせ、殿上眉をうち、口紅をひいた。足利将軍は貴族なのである。最後の身だしなみだ。その悠揚迫らざる態度はさすがであった。

 [続応仁後記]にその最後のさまが描写してある。
    公家方御快御気色にて御硯を取寄せて上女房の袖の上に御時世の御詠を書留給ふ。
     其御歌に曰く、
       五月雨は霧か涙かほととぎす
         わが名をあげよ雲の上まで
    其れより公方は名刀数多抜き置かれ、取替々々切て出させ給ひける。公方の御手に掛給      て切伏せ給う者幾等と云ふ数を知らずば敵徒皆畏懼れて近寄もの無し云々。≫

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