「博多商人」
2008/11/08(Sat)


早乙女 貢 著 『ばさらい奴』のなかの 「博多商人」 を読む。

 博多の豪商人鳥居宗室・神屋宗湛・大賀宗伯のなかの鳥居宗室の話である。この博多の商人たちも堺商人と同じく茶人でもある。
 
 この話は博多の町の説明から始まる。博多には一度行ったことはあるが団体旅行であったために写真はたくさん有るものの、私にとって知らない町と同じ。

 話がまったくそれるが、先日読んだ『「邪馬台国」はなかった』の本の「邪馬壱国」のありかとする博多であるだけに一行一句丁寧に読む。そのことからいえばここが「邪馬壱国」があった場所としても不自然ではない。

 井伏鱒二の書に博多の町は神屋宗湛の祖父にあたる人が銀山で大もうけをして街割から何までつくりそっくり現在もその形を残していると記されていたのを読んだことがある。その町がどういったものなのかの説明がおぼろげながらこの本ではわかる。

 「ばさらい奴」としての鳥居宗室に話を戻そう。鳥居宗室は天下の名物「楢柴」の茶入れを持っていた。その保管の仕方が、さりげなく茶室に置く「茶の心をこそ」といったやり方で、そこに鳥居宗室の哲学がある。ここでは神屋宗湛の「文琳」の茶入れの保管のしかたとその手放し方などと対比してそのばさらい感を浮き立たせている。

 鳥居宗室は、当時北九州地方で、九州の三分の二を抑えていた大友宗麟と秋月種実に「楢柴」を所望されていた。とくに秋月には力ずくでもといわれ、仕方なく手放すことにする。
 その引渡しのときの「ばさらぶり」についてでは、家来の村上左京が物々しく武装した50人の軍兵を従えるのを見て、「村上さま。われらも商人にすぎないとは申せ、槍鉄砲の用意はございますぞ。」といって軍兵を追い返させる。海賊として武力も十分にあるのだが商人の道を貫くのである。そして、門まで送り出したとき茶室を打ち壊すのである。その物音や土埃をみた村上左京に「楢柴の居なくなった茶室には、もはや用はありませぬ。」≪村上左京は、そこに大名にも劣らぬ男の顔を見たのである。軍勢を追い返した気魄のすさまじさと、いっそさっぱりとくれてしまった気風には、板子一枚下は地獄の波濤を恐れぬ海の男の貌があった。≫と語っている。のちこの「楢柴」は秀吉の手に渡り家康の手に渡る。
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