『ある運命について』 7
2008/11/26(Wed)
 司馬遼太郎著 『ある運命について』ー中世の開幕ー を読む。

 ほんとに短い文章である。
 かって、教科書で中世の開幕ということについて学んだ。これはとりもなおさず律令制の瓦解ということであろうか。
 律令制のなかで落ちこぼれた人たちが、遠く律令制の管理の行き届かない土地を開墾し自分たちの耕地にしていき、その人たちが落ち延びてきた源頼朝をたてて武力でもって名実ともに土地を自分のものにしていった過程において「一所縣命」や「頼もしき」という言う言葉が生まれたという。
 ≪自分で開いた田は、これだ。
 という労働と欲望と所有の直結は、鎌倉のリアリズムを成立させた。その田畑の面積や良否についてひと粒の土までこまかく見る認識力ができた。鎌倉期の彫刻にみる写実とそれ以前に作者の眼光の底にある認識能力が、所有権のあいまいな律令時代にくらべ、別種の民族がそこに誕生したかと思えるほどにちがうのは、社会そのものがそれほどまでに変わったためである。≫

 この一文は、ショックである。
 もちろんこの時代と今とを比べることはできないが、すでにこの世にいない私の父の感覚は、この鎌倉創世記の感覚そのものだったような気がする。それこそ一生懸命に田を耕し、それだけでは農地改革で人手に渡った田は買い戻すことができないので山仕事に精を出し、車社会の到来とともに、いち早く車を買い入れ、汗水たらして開墾した土地をさっさと車庫や道路に提供し、仕事の範囲を広げと、本当に頼もしい父であった。一度年末に年明けからの手帳をもらってみていた父に時の川柳「馬車馬が手帳をもらってうれしがり」という歌を聞かせると苦笑いをしていた。

 ところがいま私たちは、いろいろな制度や保険・年金の問題などに絡んで、自分の生活が何のどういう制度によって保障されていくのかわからない。自分のお金の管理をどうしていいかわからない。憲法と軍備の問題も曖昧模糊としている。半分律令国家の中で神話的な生活をしているのではないかと思えてリアリティーを欠いている。自分たちの生活を武力によらずきちんと守っていける社会の構築を考えなくてはいけない。
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