『複数の「古代」』
2008/12/08(Mon)
神野志(こうのし)隆光著 『複数の「古代」』を読む。

2ヶ月くらい前より古田武彦氏の『失われた日本』-「古代史」以来の封印を解くーを時々読んでいる。
 古田武彦氏の論は、東大派閥などと相容れない論が多いということだが、なぜか説得力を持って迫ってくる部分があるので、時々目を通しているのであるが、この神野志(こうのし)隆光氏はまさしく東大教授である。

 この中で一度古田武彦氏の論についての記述が出てくるが、ここでは古田氏の考え方と神野志隆光氏の考え方はお互い抵触しない。


 自分の考えをまとめつつ授業をする中で手ごたえを得ているので本にまとめたとしている。

 読み手としては、私も学生同様専門家ではないので、古代を紐解く上で、まずはどのような資料を活用して読み込んでいくのかということについて、その方法を教えられた気がするのである。

 そして、私も長年、初歩的なところでつまずいていたことに気づく。

 たとえば、万葉集をまず学校で教わるとき、「・・・・のときよめる歌」の次に歌が載っている。そして、その文章と歌を現代用語に解釈しているだけなので、歌以外の地の文章が、歌の読み手が記載したものと公民館の「万葉教室」に時々いって歌に親しんでいても終生勘違いをするのである。
 
 しかし、地の文章というものが、編者によって書かれたものであり推測して、書いたものであることに容易に思いが至らなかったのは私だけであろうか。
 著者は、その、編者の推測の中で、『日本書紀』を読みながら推測した地の部分で、『日本書紀』とはことなる部分があることを何箇所か指摘して、その謎について迫っているのである。。
 
 著者がこの書で扱っている資料(古文書)は本当に少ない。少ないだけに一冊一冊の語る古代を、真摯に受け止めて、語ろうとする古代にいろいろあることを訴えるのである。
 
 読後ほんとに授業を受けたとの感がある。
 
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