『小川洋子対話集』
2009/01/18(Sun)
小川洋子著 『小川洋子対話集』を読む。

目次

田辺聖子*言葉は滅びない

岸本佐知子*妄想と言葉

李 昂(り・こう)+藤井省三*言葉の海

ジャクリーヌ・ファン・マールセン*アンネ・フランクと言葉

レベッカ・ブラウン+柴田元幸*言葉を紡いで

佐野元春*言葉をさがして

江夏豊*伝説の背番号「28」と言葉

清水哲男*数学、野球、そして言葉

五木寛之*生きる言葉

田辺聖子、佐野元春、江夏豊、五木寛之しか対談相手の名前を知らない。佐野元春は名前を知っているだけ。
岸本佐知子、藤井省三、柴田元幸は翻訳の仕事もしている人のようである。

 軽いおしゃべりの本と気軽にお借りしてきたが、結構重いものもある。

 「小説家はどのようにして小説を生むのかな?」という素朴な疑問から作家のエッセイや対談集を手にすることが多いいが、こちらがもともと小説家ではないので、語ってくれてはいるのかもしれないのだけどなかなか実感的に知ることが出来ないのがほとんど。
 しかし、この作品では、一瞬その部分に触れるとことが出来たような気がした。「レベッカ・ブラウン+柴田元幸*言葉を紡いで」のなかでブラウンの質問に答えて語っているところ
 
 ≪ブラウン_・・・そんなふうに、動物をよくお使いになるのか、そして、動物に何か意味を持たせようとなさっているのでしょうか。(チョット文章がおかしいのは訳し方によるのか)
  小川___これは私の弱点でもあるんですが、物語の世界を日常生活から数ミリ離陸させるために、動物を持ってくると非常にうまくいちゃうんですよね。言葉を発しない生き物を持ってきますと、その役割を果たしてくれるんですね。≫

 そして、もっと具体的に小説に動物を登場させることの効果について会話が続いていくのだが、このことは、非常に含蓄のある言葉として感じた。
 本を読むということが、もともと日常生活から数ミリ離陸することであるのだ。
他の人のブログで、本を読むことは、猫をなでるようなものだといった人がいると知ったがそのときは意味がまったく分からなかった。この一文を読んで、すっと胸に落ちた。この一文はこのところわからないと思っていたいろんなことに回答を与えてくれたようなきがした。

 「李 昂+藤井省三*言葉の海」 これは、東京大学で行われた東大中文・現代台湾文学シンポジュウムでの対談に、加筆のうえ編集したものという。
 事前にお互い「海」というテーマで短編を競作して対談に臨むという趣向になっていたのだそうだ。この二つの作品を読まないでこの対談を読むのだが、この二つの作品に、国の事情の違いと10歳の年齢差が明確に出ているということらしい。
 最後に、
 ≪李___私が書く小説と小川さんの小説がどうしてこんなに違うのか、ようやく分かりました。現在でもなお、台湾はひとつの国家かどうかという問題を私たちは抱えています。たとえば文化的な面でも、台湾をどういうふうに認識するかというのはいまだに大きな問題です。これは政治的な問題なので慎重に言いますけれども、台湾独自の文化というものが成立することを否定して、台湾の文化も中国の文化の一部に過ぎないというふうに考える人もおります。
 私は小説の中で、国家や社会と個人、男と女といった、さまざまな不平等の問題を取り上げております。でも特にそういう問題に関心が深いというのではなくて、切迫した現実の問題として存在しているからです。・・・・・・・・・≫とある。
 
 小川洋子の作品が、日常生活から数ミリ離陸させようとしているのに対して、李 昂女史は切迫した現実の問題を見つめて世に問うているのだろう。そういった作風の違いもあるように思う。

 作風の違いといえば江夏豊との対話に出てくる『博士の愛した数式』についてだがこの作品の数学的な知識は藤原○○という数学者に学んだと語っているが、この藤原○○氏は前読んだ『流れる星は生きている』の著者藤原ていの息子で小説の中でずーっとでてくる人だ。藤原ていも切迫した自分の過去について書いている。

 
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