『津軽』
2007/09/17(Mon)
 太宰治の『津軽』を読む

 『津軽』は、昭和19年太宰治35歳の時、小山書店から「津軽」の執筆を依頼され、5月から6月に津軽を旅し、11月に出版されたものである。

 太宰治は津軽の生まれである。
 津軽の金木の出身で、中学を青森で過ごし高校を弘前で過ごす。
 そして東京帝国大学に入学し東京での生活が始まる。

 故郷を離れて東京で暮らし、自分はいったい何者なのかといったことを考える時、自分は津軽の人間であり、しかも家を引き継ぐことの無いオズカズ(三男坊や、四男坊をいやしめて言う時に使うこの地方の言葉。)である。
 都会人の自分には不安を感じるが、故郷に帰ってはオズカズであることを自覚して振舞わねばならないと心に決めてのたびであった。気質は津軽を受け継ぐも、オズカズに宿命づけられている。この戸惑いが、文中の本流をなしている。

 津軽半島の中ほどに太宰治の生まれた金木がある。その北西の竜飛岬に近いところに小泊と言うところがある。
 その、小泊というところに病身の母に代わって子守として雇われ、3歳から8歳まで自分の面倒を見てくれ、教育をしてくれた〈たけ〉が嫁いでいる。その〈たけ〉に会うのが、この津軽の旅では一番の楽しみであったとある。。
 故郷と言えば〈たけ〉を思い出すと語っている。

 ここのところでは夏目漱石の『坊ちゃん』の〈きよ〉の存在を思い出す。
 松山での教師生活に見切りをつけて、東京に帰っていく坊ちゃんが〈きよ〉のことを思っているのと二重写しになる。
 
 〈次から次と矢継ぎ早に質問を発する。私はたけの、そのように強くて無遠慮な愛情のあらわし方に接して、ああ、私は、たけに似ているのだと思った。きょうだいの中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だったという事に気付いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはっきり知らされた。〉と最後に書き記している。

 津軽の起こりや歴史を古今の文献に求め、それを確かめつつ、また、津軽の自然や風物を懐かしみ、人との心の触れあいの中に、自分の育ちの本質を探して長い旅をしてきたが、自分を育て、本当に心の友となれるのは、太宰治の家に働いていた人達だということであろうか。


 司馬遼太郎の『街道を行く 北のまほろば』には、太宰治の『津軽』から津軽や津軽の人の特徴を取り上げてあることが多い。それが、とても興味深く書いてあるので、『街道を行く 北のまほろば』を中断して先に『津軽』を読んだ。

 『津軽』は昭和19年に津軽を旅行したものであり、『街道を行く』は平成6年に旅行したものである。 その間50年の年月が流れている。
 
 太宰治の『津軽』は、若い頃に少し読んだきり読んでなかったが、この度読んでいていやみの無い品のいい作品だと思った。
 
 
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