『この国のかたち』3
2009/03/04(Wed)
司馬遼太郎著 『この国のかたち』3 を読む。


 24の小文があるが、「東京遷都」について記す。
 
 いわれてみれば、ということである。

 明治維新のとき、天皇が中心の世の中になったのにどうして首都が天皇のおられた京都ではなく江戸である東京になったのかと思う。
 大久保利通が決断したということであるがどうして江戸に決断したかということについてのエピソードである。
 遷都については、京都を動きたくない公家の意見からからはじまって、いろいろな論があったということだ。いよいよ最後に大坂の西本願寺別院を行在所にするべく出発を3月21日と決めていたが

≪それより少し前の3月10日、
「江戸寒士 前島来輔」
という署名で大久保の宿所に投書をしたものがあった。みると、大きな構想力を持った意見で、精密な思考が明晰な文章でもってのべられており、要するに大坂は非で、江戸こそしかるべきであるという。≫
この、「江戸寒士 前島来輔」とは、明治の郵便制度の創始者である前島密である。
のち明治9年、大久保が明治の稀有の立案者前島密に、前島というものの投書があったがといったところ自分であるといったことからわかったという。

この、明治の稀有の立案者が考えた郵便制度がこのたび郵政民営化ということになった。ここには触れられていないが、この郵便制度を施行するにあたって協力を求められた特定郵便局が、それ以来やっと元が取れるかどうかというときになって民営化されたという話を聞いたことがある。前島密が特定郵便局を受けてくれるよう協力を求めたひとたちのいまのこの状況をどうみるかと聴いてみたいきがする。(郵政民営化がもたらした国民への不利益は現在においてはこんな小さなことではないが)
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