『新・風に吹かれて』
2009/03/25(Wed)
五木寛之著 『新・風に吹かれて』 を読む。

 年度末にて多忙。
 
こんなときにエッセイで気楽に読めるこの本にであえてよかった。

 いつもはエッセイだとどこからでも読めそうで同じところを何度も読んだり、また再度読みたかったりとなかなかまえにすすまない。

 しかし、このエッセイは、さほど二度読みたいとも思わないが、一通りは読みたいから軽くするすると読めた。
 
 読み進むと、死生観など自分と似ているなと思えるところが結構おおくあり思わず苦笑する。

 この人の文章がよく読まれるというのは、世の中みな似たり寄ったりの人がおおいからかもしれない。

 百寺巡りをしたの記事が時々ある。
 この記事の中に、なぜか三徳山の投げ入れ堂の話が三度も出てくる。

 じつは、近年私も夫とともに登った。
 夫が計画を立てて日にちを取り決めてからのち、偶然にもNHKで三徳山のことを2・3度放映したものだから、当日行ってみると結構な人出。

 駐車場のナンバーをみると日本全国からのお出まし。

 季節もちょうどこのころだったかもしれない。

 お天気もよく、大勢の人が投げ入れ堂を目指して登ってゆく。

 眼下を見下ろしては、みどりなす山垣感動する。

 投げ入れ堂は工事中でそのことについてもNHKで、くわしく説明をしていた。

 後4メートルくらいで投げ入れ堂はここからしか見ることができませんというところまでたどり着く。
 そこも、足元も狭いのだが、登山道一列にならんで、先に着いた人がひと時鑑賞し終わるのをまちながら歩調もゆっくり進んでいく。
 そんな時、足元の深い谷あいから伸びてきている大きな杉の木を見上げてそれぞれ歓声を上げている。
 つられて、「何ですか?」と、指差されるほうをみあげると、その大きな杉の木のひとつの枯れ枝の先に馬酔木の木が生えて見事な花を咲かせている。そして、あろうことか、おなじ杉の木のもうひとつの枯れ枝に石楠花(シャクナゲ)の木が生えこれまた立派な花をさかせている。
 大きな杉の木が左の枯れ枝に馬酔木、右の枯れ枝にシャクナゲを自生させて立っているのである。

 もちろん投げ入れ堂のことも強く印象に残っているが、この杉の木のこのことがとても印象的であった。
 夫とふたりで、「静かね!」などと言って登っていたら気づかなくて、あれだけ大勢の人がゆっくりとあちこちに目をこらしていたからこそ誰かが気づいてみんながこの光景を見ることができたのだと思うと大勢の人出もありがたかったことになる。また、馬酔木もシャクナゲも花が盛りのときで季節も良かったとつくづく思った。
 
 投げ入れ堂の歴史もさることながら、この杉の木の歴史というか生い立ちというか・・・。

 また、降りる途中、眼下の山中に大きな萱(カヤ)の木があった。なぜか私は萱の木が好きで萱の木があるといつでもすぐに目にとまる。
 でも、萱の木がほかの木の中に混じって大きくすっくと立ち青々と枝を広げて
いるさまには初めて出会った。

 そのときは気づかなかったが、かえってしばらくして、多くの人が三徳山のふもとまで行ったが天気が悪かったり服装や履物が悪くて登らせてもらえなかったなどと話すのを聞くと、行きさえすればいつでものぼれるようなきがしていたので、実はわたしたちはよほど運がよかったと思ったことだ。

 五木寛之の一文に司馬遼太郎が三徳山にいったときの話があった。
 私ものぼったあと、司馬遼太郎が三徳山にいったときのことを書いたものを読んだことがある。
 彼が、投げ入れ堂をみたら何と書いてくれるかと『街道を行く』で探したような気がする。
 しかし、彼は三仏寺まで行ったきり体力に自信がなくて登らなかったという。
 とても残念で若い時に行ってくださっていればと思ったものだ。

 五木寛之は上まで高級な靴をはいて登ったということだった。

 資料館のようなところに投げ入れ堂の年賦がおかれてあり、出雲大社から攻め込まれたという記述があった。
 それはどのような出来事であったのか今も思い出して時々考える。
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