『聖なる春』
2009/04/25(Sat)
久世光彦著 『聖なる春』 を読む。

1996年出版。

 久世光彦は初めて読んだ。
 最初は自伝小説なのかと勘違いして読んだが、「私」を主人公にした小説であったようだ。
 「私」には、東京大空襲のとき燃え盛る火の手から逃れる途中、顔に火傷を負いそれが大きなあざとなって残っている。家も蔵を残して焼けてしまいその蔵の中でクリムトの絵を模写しそれを売って一人で暮らしている。
 そこには親子ほど歳の違う画学生のキキという女性が出入りしている。
 キキと贋作を買ってくれるフランソワという男と「私」のお話。
  「私」には、顔にあざがあるということと、その火傷を負ったときの恐怖とが心に常に重くのしかかっている。
 キキという女性も今は精神病院にいる母親との奇妙で悲しい思い出を引きずって生きている。
 フランソワという美術商の男はまったくその生い立ちなどがわからない。
 しかし、この男、キキ親子と何か深いわけがありそうなことを匂わせて小説は終わる。

 三人ともみんなつらい運命を背負って生きている。
 読み終わると、人が苦しい思いをして生きているのは、その苦しい状況を知ればわかるが、その心の奥底に漂うものについては、なかなか感じ取ることができないとおもった。
 しかし、つらい思いをしている人どうしだと感じあえるんだなーとしみじみ思った。

 そういう悲しみの奥底に漂うもの、やってこないとわかっている春を待ち続けるこころがえがかれている。



忙しいのとその疲れで図書館に行きそびれて読む本のない日が4、5日続いた。
ヤッパリ本がないと寝付けなくて寝不足が続き、4晩も眠れないのはちょっとつらかった。
久しぶりの現代小説で楽しかった。
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