『陽気なイエスタデイ』
2009/05/31(Sun)
阿刀田高著 『陽気なイエスタデイ』 を読む。

1999年出版。 
 『陽気なイエスタデイ』と、『青春のイエスタデイ』・『気儘なイエスタデイ』というタイトルで日経新聞や読売新聞などに連載されたエッセイをまとめたもの。

 はっきりとものをいう文章のような気がする。
 そうでない人の文章と書き方がどう違うのかと、比較しながら読んで見ようと思うが、内容に引きずられてはっきりわからない。

 繰り返して読んでいると、「5センチの研究」という作に、彼の、人には表せない彼なりのどうにもしようのない文章表現についての特徴を述べている。
 
 プロ野球、阪神タイガーズのプロワーズというかっての4番バッターの構える位置についての話がある。アウトコースのタマが彼にはからきし見えていない。それならあともう5センチベースに近くたてばいいのにと誰しもが思う。
 ところが、友人の野球選手の解説によると「プロワーズは子どものときから、20年以上も野球をやってきたと思うんだ。子どものころはともかく、野球選手として自覚をもってプレイをしてから10年や15年、経験をつんでいると思うよ。その間、一貫してかどうかはわからないけど、とにかくバッターボックスの現在の位置でボールを見続けてきたんだ。アメリカのピッチャーはコントロールが悪いから打てた。日本のピッチャーはアウトコースが打てないとわかれば、正確に何級でもそこに投げてくる。だからといって5センチ前に出たら、今まで彼がボールを見続けてきた方法が全部根本から狂ってしまうんだ。・・・・・」
 「もう少しストーリィーにおもしろ味があるといいんですけど」と編集者に言われても、なかなかそれができない。・・・・自分の書く小説はストーリィー性において欠けるところがあっても、文章の巧みさとか、内容の深さとか、そういうところに特徴を持たせようと意図し、そのように修練し、それによって評価され、今日小説家として生きているわけである。急にストーリィーをおもしろくせよといわれても、それは小説観の根源に関わること、ものの見方、考え方、一行目の書き方から修正しないとうまくいかない。今までたどってきた道を捨てて、別な道を行け、というに等しい。・・・・・・・部分修正は難しい。

 そういうものなのかと、なんだか少しわかるような気がする。 
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