『人間万事塞翁が丙午』
2009/06/07(Sun)
青島幸男著『人間万事塞翁が丙午』を読む。

1981年出版。

 支那事変(日中戦争)が起こった年、ハナの夫に召集令状が来たところから物語りは始まる。
 弁当屋「弁菊」を営むハナの家は東京は日本橋堀留町にある。
 夫とその兄の太郎と両親、二人の子供たちと家族同然の働き手たちで、忙しく賑わっている。

137ページ
≪息せき切って駈け付けてみても、明日は別れのその晩は、これといってあらためて交わす言葉も無かった。人間誰でもそんなものなのだろうか、いままたお父ちゃんと別れなければならないのに、元気でね、のほか言うことがない。万一のとき分け前でもめるほどの財産があるでなし、実はこれこれと隠し子の一件を打ち明けるでもない。ごく月並みにおせん泣かすな馬肥やせで、実にさばさばとしたの。下町の喧騒の中で過ごして来たハナにしてみればこの静けさはもてあます。
 我も他人もないような下町の暮らし方、これが今生の別れと涙ながらの水盃の場へ、わいわい他人が割り込んで、俺にも一杯と手を出す無遠慮さ、煩わしさ、それは又それで理に適った生き方なのかも知れない。いくらしんみり哀しんだところで、別れは別れ、きりのつけようがない。「花は盛りに月はくまなきをのみ見るものかは、雨にむかひて月をこひ」で、ないものねだりがあはれのきわみか、ええ、も少し静かに別れを惜しませてと言うくらいが一番しっくりくるのかも知れない。蒸し暑さのせいもあってか、その夜はなかなか寝つけなかった。≫

 これは、40歳を過ぎようかというハナの夫次郎に、2度目の赤紙が来たときのハナの心情を語っている。

 ふと、樋口一葉の『たけくらべ』や『十三夜』を読んでいるような気分になってくる。これぞ下町の風情を小気味よく描いた江戸文芸といった感がある。

 物語の終盤、次郎がたおれおおいびきをかいてとうとう死んでしまうくだり。いつものことながら従業員や隣近所のものが、我が家同然の遠慮のない物言いでああしろこうしろと大騒ぎをしている最中のこと。

205ページの最後
≪「すいませんが、少しの間だけ静かにしてやってくれませんか」と有無をいわせぬ感じで、(息子で長男の)謙一はピシャリと襖を閉め、ハナと(息子で次男)幸二の間に静かに座った。三人ともしばらくは何も言わなかった。さすがに外もしずかになった。
 「ねえ、おかあさん」
 幸二がおだやかな声でハナに言った。・・・・≫


これから、おとうちゃんの好きだった将棋板と駒をお棺に入れることにして、その中から、ハナが「歩」、謙一が「王」、幸二が「玉」を形見にもつことにするなどの親子三人の会話が続くのだがこのくだりがなんともいえずいい。

そして、この謙一の「すいませんが、少しの間だけ静かにしてやってくれませんか」と有無をいわせぬ感じで、謙一はピシャリと襖を閉め、ハナと幸二の間に静かに座ったという言動のところを境に、戦後の自由民主主義が、身につき始め、それまでの江戸文化が薄れて行くのではないかと思わせるところの表現にもあじがある。
 
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