『この日、この空、この私』
2009/07/09(Thu)
 城山三郎著 『この日、この空、この私』 を読む。

城山三郎の作品は大変爽やかで、いっぺんに作中人物のファンになってしまう。
 何冊か読んでいくうち、実在する人物の中にこれほど素敵なヒーローをどうやって見つけ出すのだろうと感心してしまう。
 そしてこんな人たちのいる世の中、自分もがんばろうとなんだか元気が出てくる。

 そんな想いが作家にまで及んで城山三郎もそんな人ではなかろうかと勝手に想像してしまう。

 さてと、この書、『この日、この空、この私』に出てくる城山三郎はどうであろうか。
 
 彼は、ここでは私たちと同じ、ああでもないこうでもない、といろいろ思いををめぐらし自分について、そしてまわりの人について内省している。
 自分の心の中を逍遥している。
 それだけにいい格好も無ければ素のままといった感じで、まじめそのもの。
 
 そのため、この書は、エッセイといっても日記のようなものになっている。

 たとえばこんな記述である。

 ≪書類の山を整理していたら、還暦のとき書いたメモが出てきた。還暦を過ぎてどう生きるのか心得というか、思いつきを書きなぐったもので、・・・
 ㈠ 年齢に逆らわず、無理をしない
 ㈡ いやなことはせず、楽しいことをする
 ㈢ 眠いときには寝、醒めたら起きる(昼夜を問わず)好きなものだけ食べる。但し午後8時まで
 ㈣ 義理、面子、思惑をすてる。つまり、省事で通す
 ㈤ 友人をつくり、敵をふやさない
さて、それから十年以上経ってどういうことになったのか。・・・・・・・≫


 私も整理をしていて古いメモを見出すことがある。
 一番多いいのが、本の読書記録である。
 その記録の中には、わからない言葉について辞書を引いて書き写したりしているものもある。ああこの言葉はこの本の中で知ったのだったとか懐かしい。

 そんな、読書記録をブログにと思い立って2年になろうとしている。
 当然メモの書き方はかなり違う。
 とりあえず、こうして散逸していないことが改めてありがたい。
 ブログに書くようになって、読書の方法も少し変わった。なぜか、5・6巻ものの長編をを読まなくなった。一人の作家を読み続けるということをほとんどしなくなった。初版本を読まなくなった。

 こいうふうに、このエッセイを読んでいると、すぐにわが身に置き換えてわが身の内省が始まってくる。

 つらい人生をなんとか自分を奮い立たせて、全うさせようと思っているだけに又違った意味での元気をもらうことができる。

 
 ※ なかに、遠藤周作のことがうらやましい人として語られている。
 ずっと若いころ曽野綾子や北杜夫などとまとめて読んでいたころがあったが、今読むとぜんぜん違った感想を持つのではないかとも思える。
 そして、城山三郎の著書の中にも読んでない本が沢山あることもわかり、これらの本もゆっくり読んでみたいと思う。

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